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ヒストリー

ヒロシマの記録1947 11月


1947/11/1
原民喜氏が小説「廃墟から」を「三田文学」12号に発表(「原爆被災資料総目録・第4集」)
1947/11/6
モロトフ・ソ連外相が革命30周年記念祝賀会で「原子爆弾の秘密はすでに秘密ではない」
1947/11/8
1943年3月に外国人国外追放で米に帰っていたアルバ・タワー元広島女学院教授が再び広島へ
1947/11/11
仏の右翼紙「ラントランシジャン」が、ソ連は6月15日にシベリア・イルクーツク付近で初の原子爆弾投下実験を行ったと報道。米、英は否定(後に誤報と判明)
1947/11/13
広島市似島町で原爆犠牲者約1,500柱を合祭した供養塔(原爆千人塚)の除幕式と追弔法要
1947/11/18
広島県が昭和天皇訪問で市民の疑問に答える。「出迎えは平服で」「通行制限は普通の交通整理」「日の丸は一切使ってはいけない」「演奏は君が代に限る」
1947/11/18
米海軍のハル大佐が原子爆弾の放射能に対する防御装置を完成と発表
1947/11/20
世界YWCAのバーンズ会長ら各国のYWCA代表10人が広島市を訪問
1947/11/21
米の子供たちから米広島軍政部を通じ広島の児童へ文房具や日用品のプレゼント
1947/11/25
広島市の元護国神社北側広場(現広島市民球場北側)に広島児童文化会館が起工式。(当初は米広島軍政部が全面協力し大ホール、児童体育衛生館、国際親善館、科学工芸館、児童図書館、美術館などを構想。大ホールだけ1948年5月開館したが経営難から1950年、市に転売)
1947/11/--
戦後初の昭和天皇、中国地方訪問で原爆被災の広島市は特別に奉迎式挙行へ。原爆戦災者の実態についても竹内釼広島赤十字病院長が進講へ
1947/11/--
広島逓信病院の勝部玄外科医長が「1946年2月から翌年4月までに221例のケロイドを切除。うち25例について放射能検査をしたところ1946年6月を境に徐々に消える。死体には半永久的に残る」
1947/11/--
広島県安佐郡川内村が広島市材木町の誓願寺に原爆死没者供養塔を設けて供養会(「佐東町史」)

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