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「空襲忘れぬ」誓いの表示板 山口県和木の旧陸軍燃料廠 防空壕跡に町が設置

 1945年5月10日に空襲を受けた、山口県和木町の旧岩国陸軍燃料廠(しょう)(現三井化学岩国大竹工場)の防空壕(ごう)跡に、表示板が取り付けられた。300人以上が犠牲になった空襲から間もなく69年。「戦争の悲劇を風化させたくない」との遺族や空襲体験者たちの声を受け、町が設置した。(増田咲子)

 陸軍燃料廠は戦時中、航空燃料や航空潤滑油などを生産。和木町史などによると、5月10日午前9時45分ごろ、米軍のB29が飛来し、爆撃により壊滅的な被害を受けた。隣接の興亜石油(現JX日鉱日石エネルギー)も含め、動員学徒や従業員たち356人が犠牲になったとされる。

 防空壕跡は三井化学岩国大竹工場の正門付近にあり、外部から見ることができる。しかし、表示板などはなく、その存在はあまり知られていなかったという。

 「殉難者地」と記された表示板は縦80センチ、横100センチ。空襲の被害などを説明している。当時、陸軍燃料廠に勤めていた生存者の一人、村本美喜子さん(87)=和木町和木=は空襲で友達や同僚を亡くした。「防空壕の存在を多くの人に知ってもらえる。戦争はしてはいけないと次世代に伝えるきっかけにもなる」と期待する。

 10日は午前10時から、和木町和木の養専寺で、七十回忌の法要が営まれた後、防空壕跡の見学がある。

(2014年5月9日朝刊掲載)

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