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連載・特集

浄土真宗本願寺派門主 37年ぶり交代 大谷光淳新門主に聞く

 日本最大級の仏教教団、浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺、京都市下京区)のトップである門主が、1977年以来37年ぶりに交代する。大谷光真門主(68)=法号・即如=から、25代目となる長男の光淳新門(36)への法統継承式は6月6日、同寺である。本願寺派は「安芸門徒」で知られる広島県西部をはじめ、山口や島根など全国各地に門信徒が多い。若い世代への布教や、平和の発信に意欲を見せる光淳新門に、宗派の現状や、門主就任後の抱負を聞いた。(桜井邦彦)

ヒロシマ意識し思い発信

 ―門主となる決意をお聞かせください。
 本願寺派の寺と門徒の家との関係が強かった以前と違い、2世代、3世代がそろって寺へお参りすることが少なくなった。核家族化が進み、違う見方をすると個人が家の宗教とは別に自分の宗教を選べる時代。他宗の檀家(だんか)が浄土真宗の寺に来るケースもあるし、その逆も起きている。

 「家の宗教」という考え方ではなく、純粋に教えとしてどう伝えるか。教義的な部分の発信はまだ不十分だ。今までと同じことを続けるだけでは、み教えを伝えられない。社会の変化を見ながら対応したい。

 ―その個人には、どうアプローチしていきますか。
 寺の活動は、平日の昼間に法座などをするケースが多い。だが、一般の方の仕事をする環境が大きく変わっている。年齢、性別、仕事の状況などで寺に来やすい時間や曜日は違う。いろいろな方が寺に来られるよう、月に何度かある法座は曜日や時間などを変えて開く必要があると思う。

 ―子どもや若い世代への布教をどう進めますか。
 核家族化が進むなどし、首都圏では、直葬という葬儀の流れが生まれ、通夜や葬儀に亡くなった方の孫が参らない例が出てきている。小さな子どもに対し、死と向き合うことを避ける考え方が広がっている気がする。寺との関わりが多くない親世代の20~40歳代やその子どもたちに、寺やみ教えと親しんでいただく環境をもっと意識的につくっていかなければいけない。

 ―自死やうつなど、現代人の抱える心の問題に対して仏教や浄土真宗はどんな役割が果たせますか。
 私たちは無意識のうちに物事を自分に都合がいいように考えたり、都合の悪いことに気付かないふりをしたりしている。ただ、真実を見ない自己中心的な生き方を否定するだけでは、私たちには何も救いがない。阿弥陀様のはたらきに照らされ、悩みや苦しみを抱えながら生きることに意味を見いだすのが浄土真宗の教えだろう。それは、人が限られた命を尊厳を持って生きるよりどころとなると思っている。

 ―中国地方の中山間地域では過疎、高齢化が特に進み、寺の存続が危ぶまれる状況にあります。
 本願寺派は過疎地の寺院のほうが多い。過疎、高齢化という社会の流れは食い止めようがないが、現実を踏まえてどう対応するかが重要。お寺を何とか維持しようと、住職たちは兼職の形をとりながら、生活と寺院の運営を両立させている。非常にありがたい。一方で、若い方が専業で寺のことをできる状況になく、現在の形をずっと続けるのは難しい地域もある。門徒の方々の気持ちを含めて具体的に(寺の在り方を)考えていかないといけない。

 ―ヒロシマが発信する核兵器廃絶の願いをどう受け止めておられますか。
 核兵器は無差別に多くのものを傷つける。日本は、ヒロシマ、ナガサキで原爆投下があったので特に、核兵器廃絶の願いは私も含めて多くの方が持っている。近年は「国民の安全(を守る)」といった言葉で戦争を意味づける言い方を聞くことがある。あらゆる戦争、あらゆる武器は許されない。抑止という意味で核が存在することにも問題がある。社会では言葉で人を殺してしまうこともあり、差別やいじめでも命が傷つく。尊厳を持って生きていける社会にするため、命の大切さを訴えていかなければならない。

 ―来年は被爆70年。1982年に広島で「平和を願う言葉」を発表した光真門主のように、行動や発言をしていただく機会はありますか。
 私自身は戦争を経験していないが、経験した方々と接する機会のあった最後の世代に当たる。70年という年月の中で体験された方が亡くなっていっている。ヒロシマを意識した言葉を発信していくことが必要と思っている。現段階で具体的な計画はないが、広島を訪れる機会はあると思う。核兵器廃絶をはじめとする戦争の問題について自分の思いを伝えていきたい。

 京都市生まれ。92年8月に得度し、次の門主になる立場である新門になった。法政大法学部を卒業し、龍谷大大学院で博士課程(真宗学)の単位を取得。08年4月から13年12月まで、築地本願寺副住職を務めた。法号は「専如」。

6日に法統継承式

 「法統継承」は、歴史的に浄土真宗本願寺派で続いている門主交代の儀式。本願寺派の門主は、1224年に浄土真宗を開いた宗祖親鸞の子孫である大谷家が代々継いでいる。死後に継承される場合が多かったが、門主の判断で生前に引き継ぐ場合もある。

 門主は本山・西本願寺の住職として、教えを広く伝え導くのが役目。全国45カ所にある本願寺派の別院や、築地本願寺(東京都)などの住職も兼ねる。

 大谷光真門主から光淳新門への法統継承式は、法要が6月6日午前10時から西本願寺の阿弥陀(あみだ)堂と御影堂(ごえいどう)で営まれる。続いて御影堂で式典があり、新しい光淳門主が決意を述べる。午後1時半からは光真・前門主と光淳門主がそろって、親鸞をはじめ歴代門主の墓のある大谷本廟(びょう)に参り、親鸞の墓前に立つ「明著堂」などで焼香する。

 継承式を前に5日午後3時半から、光真門主が謝辞を述べる「御消息発布式」をする。午後6時15分からは、紫の色衣、親鸞の木像を安置している御影堂の厨子(ずし)の鍵、印鑑を譲る「御譲渡式」が御影堂で非公開で行われる。

 本願寺派は所属する寺院が1万217寺、僧侶が3万2465人(5月1日現在)。

浄土真宗本願寺派専正寺住職 深水顕真さん(44)=三次市上志和地町

大切な「地域の寺」

 中山間地域では過疎、高齢化で門徒数が減って寺の維持が難しく、私が副組長をしている三次組の34寺の中にも廃寺を検討中の寺がある。専業で跡を継ぐことに危機感を抱く若い僧侶もいるようだ。

 寺はかつて地域社会の中心で、毎月お参りするのが当たり前だった。集会所のような役割を果たしていたが、今は「地域の寺」というイメージが薄れ、宗教的な機能だけになっている。

 門徒は減り、世代交代も進んでいない。法座の参加者は同じ顔ぶれ。戦後世代は戦前と価値観が違う。合理的に物事を考える。宗教が役立つものとして受け止められているかどうか。

 写経や演奏会を企画し門徒との縁を広げている寺もある。三次組は近く法座を充実させ、参る人を増やすプロジェクトを始める。教区単位で、質の高い話のできる布教使を寺へ派遣する仕組みができればいい。

 先の見えない時代で、若い人は心のよりどころを求めている。こちらから出ていく出張法座なども必要。新門さまは、仏教や浄土真宗の伝統価値を広く伝えていただきたい。各組も巡回し、門徒や若い人と間近に触れてほしい。

茶道上田宗箇(そうこ)流の若宗匠 上田宗篁(そうこう)さん(35)=広島市西区古江東町

日本の根っこ継承

 文化も宗教も人の心のよりどころだと思う。自分を見詰め直し、気持ちをリフレッシュして頑張れる。いずれも積み重ねてきた長い歴史がある。日本人や日本の根っこの部分であり、大事にしたい。

 私は茶道の担い手として、魅力を積極的に伝える姿勢が大切だと思い、動いている。座っているだけでは細っていく。一生やり遂げ、次の代に渡すのが私の役目。上田宗箇流の青年部は昨年、段ボールとベニヤ板で組み立て式の茶室を作った。私は講演に持参し、参加者に会場で茶室の空間を体感してもらっている。

 ただ、作法が厳しいというイメージが先行し、入り口で敬遠されている面もある。何もせず文化が滅ぶのが最も怖い。茶道は何百年もの積み重ねで質の高い伝統文化になっただけに、入り口でまず興味を持ってもらい、奥深い世界に入ってきてほしい。

 大谷光淳さんたちと4年半前、歴史に根ざした信仰や文化を現代に伝えるには何が必要かについて中国新聞紙上で対談した。まじめな方で、ご自分の仕事への愛を感じた。背負うものは大きいと思う。私もそうだが、自分の思う自分像を生きて、大切なものを伝えていただきたい。

僧侶でシンガー・ソングライター 松嶋智明さん(39)=山口県周防大島町

意見を交わしたい

 私は歌うお坊さん。「白鳥ちあき」の名で2006年から、本格的に歌を作り歌っている。これまで10曲をCDにした。「君と僕」という曲は正信偈(しょうしんげ)の言葉を私なりに解釈して歌にした。お経は漢文の世界で、若者にとって分かりづらい。大好きな歌は私なりの仏教の伝え方。涙を流しながら聴いてくれる人もいた。

 若い世代のいる寺がよくライブに呼んでくれる。昨年から依頼が急に増えた。最近は山口県を中心に月2、3回ある。仏教に関心のある若者が増えているとも聞くので、もっと飛び出して歌いたい。

 私は2人の子どもを育てながら、実家の荘厳寺(山口県周防大島町)で僧侶をしているが、お寺だけでは生活できないのが現実。主人のジャム店があるから何とかなっている。今から地方の門徒が減っていく。寺や住職のファンをつくって、仏教っていいねと思う人を増やしていきたい。

 新門さまの若者としての感覚に、大きな期待を持っている。ぜひ、全国の若手僧侶が、教えを伝える仲間として新門さまと交わる場を設けてほしい。意見を交わしたい。私たちの世代が本気で頑張らないと。

被爆体験証言者 笠岡貞江さん(81)=広島市西区己斐上

平和な世へ導いて

 新門さまには広島に来て原爆資料館(広島市中区)を見ていただき、私たち被爆者の体験も聞いてほしい。ご自身の平和への思いがまた増すのではないか。

 私は10年余り前、市内の己斐小6年生に頼まれて初めて証言し、児童はそれを作文や絵、劇にして地域の人に発表してくれた。感じたことを人に伝えてくれる姿がうれしく、私も伝えていこうと思った。

 あの日、私は爆心地から3・5キロ離れた広島市江波町(中区)で被爆し、外出していた父母を亡くした。無差別に人を殺す原爆は非人道的な「悪の固まり」。原爆で戦争が終わったと正当化する人もいる。実際の惨状を知らない人が多いのが心配でならない。

 今は広島も日本も平穏なのがうれしい。ほかの人には、私たちと同じ思いをしてほしくない。私の証言が子どもたちの心に残り、将来、思い出して活動してくれることを期待している。

 原爆に遭った人が話すのが最も伝わるが、体験者はどんどん減っている。代わって、誰かに伝えていってもらわないと。私は本願寺派の門徒。新門さまにはヒロシマで感じたことを言葉にし、平和な世の中へと皆さんを導いてほしい。

(2014年5月28日朝刊掲載)

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