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近距離被爆者12人健在 広島爆心地500メートル以内 鎌田・広島大名誉教授 追跡調査

 広島原爆の爆心地から半径500メートル以内で被爆して奇跡的に助かり、今も12人が健在であることなどが、広島大名誉教授の鎌田七男さん(77)の追跡調査から分かった。男性2人と女性10人の69~97歳。しかし、6人が胃や大腸、髄膜などのがんを患い、うち4人は重複がんを経験。すさまじいまでの被爆を生き抜きながら、高線量放射線の影響に苦しめられる実態は、核兵器の非人道性をあらためて浮き彫りにしている。(「伝えるヒロシマ」取材班)

 12人の被爆地点は、爆心地から260メートルの芸備銀行(現広島銀行本店)が2人▼330メートルの広島富国館(同フコク生命ビル)4人▼380メートルの日本銀行広島支店(建物が現存)2人▼410メートルの本川国民学校(現本川小)1人▼460メートルの袋町国民学校(現袋町小)1人▼500メートル以内を走っていた別々の路面電車で計2人。

 最年少の69歳女性は生後5カ月の時に母とともに日銀で被爆した。70代は男性1人で、80代は8人(うち男性1人)、90代は女性2人である。

 原爆が1945年8月6日頭上でさく裂した瞬間、12人は、堅固な鉄筋ビル内や満員の電車内にいて熱線の直射を免れたり、放射線の致死線量を遮られたり、「奇跡としか言いようがない幾つもの要因」(鎌田さん)が重なり、助かったとみられる。

 調査開始の72年で生存していたのは78人。うち47人については末梢(まっしょう)血リンパ球の染色体異常率から被爆線量の推定が可能であり、被爆60日以内に半数が死亡する半致死線量の4シーベルトを9人が上回っていた。低い人でも0・9シーベルトだった。

 亡くなった66人の直接の死因は、脳や心臓の血管障害が26人、がんが22人、間質性肺炎が6人など。健在の12人の半数もがんにかかり、4人は2~4種の重複がんでの闘病を強いられていた。

 生活面では、78人のうち4人が孤児となり、健康や周囲の偏見から就職や結婚で支障のあった人も多い。それらを乗り越えてきたが、精神的な不安が年齢とともに高くなっているという。

 生存者の総合的な調査は、広島大原爆放射能医学研究所(現原爆放射線医科学研究所)のプロジェクトとして始まり、鎌田さんは2000年に所長を退き、広島原爆被爆者援護事業団理事長の現在も調査を続けている。連絡が近年つかなくなった7人については中国新聞が取材で生死(うち健在は女性1人)を確かめた。

核の非人道性示す

  鎌田名誉教授の話
 近距離被爆生存者は他に類を見ない集団だ。検診や健康調査、聞き取りも続けてきたことで、被爆線量の推定手法が確立でき、髄膜腫の多発性や重複がんの増加など、被爆をめぐる科学的知見が多く得られた。一人一人の生涯からは、生き抜いてきた強さとともに、原爆が心身ばかりか社会的にも甚大な影響をもたらしたのが分かる。核兵器の非人道性を明らかにしている。

(2014年6月2日朝刊掲載)

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