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連載・特集

緑地帯 広島「女縁」の現在 高雄きくえ <2>

 1968~75年の広島の女たちの息づかいが、だくだくほつほつと伝わるガリ版刷りのビラ、新聞記事、報告冊子、ポスターなどが私の手元にある。その当時を生きたある女性がそれらの入った段ボール箱の行き先を探しているという情報を得て、すぐに手を挙げた。私は70~73年、大学生活を他県で過ごしていたため、ウーマン・リブが一番盛んだったころの広島を知らない。だから、それはそれはうれしかった。

 広島女子大女性解放研究会・広島大学おんな解放戦線などが呼び掛け団体となった「優生保護法改悪を許さない広島集会」と市内デモ、「極私的エロス・恋歌1974」上映会…。大学闘争の中にもある女性抑圧に気付いた女たちの「女性解放」への熱い思いがほとばしる貴重な資料だ。

 ウーマン・リブの全国波に乗って届いたコトバは、明治生まれの母の生きようを見てきた私自身にも当時、痛いほどの「問い」を投げ掛けた。「女とは?」。問いを手にした私は、生きる指針を得たようで、これから何をしたらいいのかが見えてきた気がした。

 後で知ったのだが、ひろしま女性学研究所の前身、家族社設立をともにした元中国新聞記者の中村隆子さん(1930~2012年)も、日本でウーマン・リブ誕生の年といわれる70年に東京であったリブ討論会に参加していた。根源的な「問い」を抱えた女たちは、これまでの官主導の地域婦人会とは異なる女たちを発見し、出会うべくして出会っていった。(ひろしま女性学研究所代表=広島市)

(2014年6月4日朝刊掲載)

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