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峠三吉の最期 克明に 文学仲間の故坪田さん 遺品の手帳を確認

 「原爆詩集」で知られる詩人峠三吉(1917~53年)の最期の様子を細かくメモした手帳が現存していた。東広島市の国立療養所広島病院で、峠の肺葉切除手術に立ち会った文学仲間の故坪田正夫さんの遺品。広島文学資料保全の会(広島市)が入手し、確認した。(道面雅量)

 手帳は名刺大で、12ページ分を抜き取って残していた。峠は肺の病から再起しようと53年3月9日に手術を受けるが、患部の癒着がひどくて出血もかさみ、翌10日未明に亡くなる。坪田さんは投薬、執刀、脈拍、輸血などの経過をメモするとともに、「おれたちの峠三吉よ/頑張れ/死ぬるな/生きろ/生きるんだ/大衆は待っている」などと、抑えきれない感情も書き付けている。

 俳句や短歌に親しみ、当時は大三島(愛媛県)の病院に勤める放射線技師だった坪田さんは、峠が所属した「新日本文学会」を代表し、手術室に入るのを許されていた。峠の最期について、尾道市で刊行されていた文芸誌「沿岸地帯」2号(53年11月刊)に寄稿しており、このメモを基に書いたとみられる。

 91年に67歳で死去。手帳を含む資料は遺族を介して東京の峠の関係者宅で保管され、今春、保全の会が譲り受けた。

 資料には「沿岸地帯」に寄せた原稿や、峠の死をめぐって交わされた山代巴や中野重治たち同志的な作家の書簡も含まれる。峠が手術を決断するに当たって同志から無理強いはなかったか、議論になったことがうかがえる記述もある。峠とともに活動した詩人で医師の御庄博実さん(89)=広島市安佐南区=は「峠を囲む仲間の強い絆を物語る資料。この程度の手術で落命したのは原爆症に体をむしばまれていたためだ」とみる。保全の会は公的機関への寄贈を検討している。

(2014年7月31日朝刊掲載)

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