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連載・特集

被爆を伝えて <4> 劇作家・福田修志さん 「悲しみ共に」 演劇に託し

 長崎市の劇作家福田修志さんが2006年に書いた戯曲「マチクイの諷(うた)」。祖母(86)の被爆体験を下敷きにしているが、「原爆」や「被爆」の言葉は一つも出てこない。

 「いわゆる戦争ものにして、ありきたりに平和を訴える作品にはしたくなかった。現代に生きる被爆3世の立場だからこそ感じ表現できる『原爆』がある」

表現 3世として

 祖母は17歳の時、長崎の爆心地から約4・5キロの自宅で被爆した。爆風を受け、黒い雨にも遭った。折り重なるようにして亡くなった人たちを焼く臭いが忘れられないという話を、聞いて育った。

 忘れてはならない、伝えなくてはならないと思う一方で、「今なお苦しんでいる人がいるのに、直接体験してない世代の自分が原爆を表現すれば、被爆者を傷つけるかもしれない」。制作につなげる勇気はなく、避けてきた。

 爆心直下にいた人に比べ、祖母は被害が少ない方だった。体験をそのまま伝えても「実際はもっと大変だった」とか「体験していない者に何が分かる」とか言う人もいるだろうとも想像した。

 でも30歳を過ぎて思うようになった。「孫として、ばあちゃんの思いの分だけは、僕のやり方で伝えられるのではないか」と。

 戯曲は、祖母の実話を基に、旧ソ連チェルノブイリ原発事故を参考にして全く架空の物語に仕立てた。「悲惨さを強調したり声高に反核平和を訴えたりするのではなく、若い人がとっつきやすい内容にしよう。原爆ではないことにして原爆を描いてみよう」

葛藤や実情描く

 物語の舞台は、日本の西の果てに浮かぶ小島。20年前に起こったエネルギー工場の爆発事故で、人間の体が木に変わる「マチクイ」という名の病気がまん延する。効率を求めてたどり着いた技術が生んだ悲劇に、怒りをぶつける先のない住民たち。島にあふれる木を目当てに訪れる観光客や研究者たち。マチクイをめぐる人間模様が、長崎弁を軸に、テンポよく繰り広げられる。木をモチーフにしたのは、水を求める木の姿に、被爆者やきのこ雲のイメージを重ねたからだ。

 マチクイにかかった人の苦しみ、自分が元気なことを罪悪感のように思う家族、被害者とそうでない人の分断や対立、距離感…。物語は、被爆体験をめぐる長崎や広島の実情や葛藤を思わせる。さらにそれは、福島第1原発事故や米軍基地などさまざまな問題や矛盾を抱えて暮らす私たち自身の今が二重写しになる。

 「何かに苦しむ人がいて、傷つけた側の人も、どちらでもない人もいる。みんなそれぞれの思いで動いていてどれも間違いとはいえない。人の悲しみに向き合うのは難しい。同じ悲しみを繰り返さないために、若い世代にも考えてもらうきっかけになれば」

 ことしは地元公演を7月に終え、8月9、10日は広島市の東区民文化センターで、30、31日は津市での公演を控える。上演や戯曲使用の依頼も増えてきた。福田さんは「マチクイの諷」を「安来節のようにしたい」と語る。砂鉄採取で土壌をすくう地域の営みが、どじょうすくいの踊りとして伝え継がれたともいわれ、全国に知られる安来節。

 「被爆の記憶を伝えるためには、その悲しさや思いを、現代に生きる人が共感できる何かに変換していく作業が大切だと思う。それができるのが演劇であり、文化ではないでしょうか」(森田裕美)=おわり

ふくだ・しゅうじ
 1975年長崎市生まれ。長崎大教育学部4年生だった97年に劇団「F’s Company(フーズ・カンパニー)」を旗揚げし、1年間の東京での活動後、帰郷。代表、演出家としても活躍。2009年、「マチクイの諷」が第15回日本劇作家協会新人戯曲賞最終候補に。九州地方の学校や地域で演劇の講師なども務める。長崎市在住。

(2014年8月8日朝刊掲載)

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