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アニメーションフェス30周年 広島から世界へ <上> 原点 平和希求 ヒロシマ共鳴

 広島国際アニメーションフェスティバルがことし、1984年の運営組織発足から30周年を迎えた。被爆40年の85年から、「愛と平和」をテーマに広島市でほぼ隔年に開催。世界4大アニメーションフェスティバルに数えられる祭典には、世界の著名な作家も参加し、多くの才能が羽ばたいてきた。その歴史を振り返る。(余村泰樹)

 「祭典の扉を開くきっかけになった」。関係者が口をそろえる作品がある。「ピカドン」。赤ん坊に乳を与える母、市民を運ぶ路面電車…。男の子が紙飛行機を飛ばす瞬間、ごう音が響き、日常が奪われる。せりふのないわずか10分の中に、原爆の悲惨さや残酷さが濃密に描かれる。

 祭典の生みの親、故木下蓮三と小夜子(69)夫妻=東京都=が78年に制作した。きっかけの一つが、77年にドイツの映画祭で小森敏廣さん(71)=広島市南区=に出会ったこと。小森さんは、映像を通じて平和教育を進める広島映画センターの代表だった。翌夏、夫妻は広島市を訪れる。「苦しいときも支えてくれた」と、今も感謝する同センター事務局長の田辺昭太郎さん(74)=同=たちに巡り合う。

 夫妻は、田辺さんたちの案内で被爆者が描いた絵や証言に触れ、温めていた原爆作品の制作を決意。この年の秋に完成し、真っ先に同センターに届く。「劇映画や記録映画では表現できないものがリアルに描かれ、思わず息をのんだ」。センター職員の衝撃を小森さんは振り返る。

 木下夫妻は、その6年前から、大阪などを候補地に祭典開催を模索してきた。夫妻の夢を聞いたセンター関係者たちは、アニメーションの可能性と作品で平和を追求するという国際アニメーションフィルム協会(ASIFA)の理念に感銘。広島での開催に向け、市役所や企業を回り、理解を得ようと奔走する。

 約6年後、ようやく努力が実る。被爆40年事業として広島市が開催を決めたのだ。深夜番組「11PM」のアニメーションで知られ第1回から副会長を務めた久里洋二さん(86)=東京都=は「雲をつかむような話が実現し、日本のアニメーション界の新たな一歩を感じた。うれしかった」と当時の興奮を振り返る。

 被爆地ヒロシマから「愛と平和」を希求するという祭典の理念は、多くのアニメーション作家の共感を呼んだ。第1回の国際名誉会長には、宮崎駿さんや高畑勲さんが多大な影響を受けたというフランスの巨匠、故ポール・グリモーが就任。フェスティバルディレクターを務める小夜子さんは、権力批判や反戦の思いが色濃い作品を世に送り出したグリモーの就任を「広島の原爆犠牲者が後押ししてくれた」と信じる。

 第1回には「鉄腕アトム」など商業アニメで名声を得ていた故手塚治虫も「おんぼろフィルム」で挑戦。6日間で1万6千人が来場した。憧れのグリモーからのサインを喜ぶ手塚の姿など、会場の市公会堂は交流を楽しむ作家で熱気に包まれた。

 「海のものとも山のものとも分からない時に、信じてくれた広島の人たちへの感謝は一生忘れない」と小夜子さん。被爆地ヒロシマで「愛と平和」の理念を大切に守り続けている。

21日から第15回映画祭

 第15回広島国際アニメーションフェスティバルは21~25日、広島市中区のアステールプラザで開催。1次選考通過作のコンペティション(公開審査)のほか、30周年記念特別プログラムやハンガリー特集など69プログラムがあり、計700弱の作品を上映する。入場料は1プログラムで大人1200円。一日券は3千円。全プログラム券は1万2千円。中高大学生の割引券や前売り券もある。小学生以下は30周年記念で無料。事務局Tel082(245)0245。

(2014年8月12日朝刊掲載)

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