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連載・特集

緑地帯 「ミリキタニ」と出会う 峰崎真弥 <3>

 私の祖母平野芳枝(83)は、米カリフォルニア州の生まれ。10歳から14歳まで、家族と日系人強制収容所で過ごした。ジミー・ツトム・ミリキタニと同じ、ツールレイク収容所だ。戦後、母親の実家のあった江田島に移り、そこで結婚し、今も住んでいる。

 「強制収容所」の重く暗いイメージと、明るくおおらかな祖母のイメージは、なかなかつながらなかった。強制収容所に入れられるとはどういうことなのか、なぜそうなったのか。私は映画「ミリキタニの猫」をきっかけに興味を持ち、調べ始めた。

 ただ、祖母自身はそのことに否定的だった。「収容所の話なんか誰も興味を持たないわ。過去ではなく、今。今を生きなさい」と何度も叱られた。

 祖母は7人きょうだいの真ん中の四女。両親はイチゴ農園を営んでいた。小学校に通う傍ら、畑仕事を手伝った。お弁当はいつも、自家製のイチゴを使ったジャムサンド。飽きてしまい、貧困家庭の児童にだけ支給される給食がうらやましかったという。

 祖母のきょうだいは、両親(私の曽祖父母)のことをパパー・ママーと呼ぶ。戦前にパパーが50歳で病死し、ママーは女手一つで子ども7人を育てることになった。米政府から援護の話もあったが、ママーはそれを「恥」だと断ったという。

 1941年12月、日米開戦。翌年から日系人は次々に立ち退きを迫られ、強制収容所での生活を余儀なくされた。「君が代」より米国の国歌が身近だった祖母も、その中にいた。(アーティスト=江田島市)

(2014年8月22日朝刊掲載)

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