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連載・特集

緑地帯 「ミリキタニ」と出会う 峰崎真弥 <5>

 同じ日系人強制収容所に暮らした祖母とジミー・ツトム・ミリキタニ。調べるうちに、2人の相違点も痛感するようになった。

 ミリキタニは生まれは米国だが、生後すぐから18歳まで広島で育つ。戦争を拒み、画家を志して米国へ渡り、没するまでそこに生きた。祖母は収容所時代も含め、14歳まで米国で育つ。戦後、母親に連れられて広島へ移り、今に至る。

 ミリキタニは広島にいた兄や母方の親族を原爆で失う。祖母は初めて上陸した日本で、復員兵のみすぼらしい姿や、焼け野原の広島に衝撃を受けたという。

 ミリキタニは、収容所で放棄した市民権の回復を知らされないまま米国を転々とし、迫害への怒りを胸に反骨の路上アーティストとして晩年を生きた。祖母は進駐軍の通訳を務めたりした後、江田島で結婚して家庭を築く。クリスマスには必ずモミの木を飾り、ケーキを手作りした。2人の日本観、米国観は正反対といっていいほど異なる。

 ただ、それぞれに与えられた運命を精いっぱい生きてきたこと、「戦争はいけない」という意見は共通している。

 広島で平和教育を受けた私だが、「戦争反対」と声を上げることにどこかリアリティーを感じられないできた。しかし、祖母のそれは違う。ミリキタニのそれは違う。過去を内包している一言だからだと思う。

 祖母には「過去ではなく今を見なさい」と叱られたが、私にとっては、これからを紡いでいくための過去への興味だった。(アーティスト=江田島市)

(2014年8月26日朝刊掲載)

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