×

連載・特集

緑地帯 「ミリキタニ」と出会う 峰崎真弥 <6>

 美術大で学び、制作をしてきた私だが、どこか「答え」を急いでいた。作品で確固たる答えを出すことが、制作だと信じていた。でも、答えを急げば急ぐほど、作品は迷走した。

 当事者として、自らに内在する素朴な問いをそのまま、作品として投げ掛けてみるのもいい。今ではそう思えるのだが、その気付きをくれたのは映画「ミリキタニの猫」だった。

 映画をきっかけにジミー・ツトム・ミリキタニに出会い、在米日系人の歴史、祖母をめぐる家族史へと導かれた。第2次世界大戦や当時の米国や日本について広島で教育を受け、それなりに知っているつもりでいたのだが、本当は、身近な祖母のことすら知らなかったのだ。

 私につながる家族史を知ることで、私の中に歴史の「当事者」としての意識が芽生えてきた。家族が生きてきた江田島という地にも関心が湧き、帰郷して活動することに意味を感じ始めた。

 思えば、この映画が誕生したのも、リンダ・ハッテンドーフ監督が米ニューヨークの路上でミリキタニに出会い、彼に当事者として関わったからだ。ミリキタニも、日系人強制収容の当事者としての怒りを持ち続け、その不当性をアーティストとして訴えた。

 当たり前のことだが、当事者意識があってこそ、自らの言動に意志と責任が伴ってくる。主体性が生まれる。作品制作の上でも、客観的な答えより、まずはそれが大事だと思うようになった。私は故郷の江田島で、この映画の上映会をしたいと考えた。(アーティスト=江田島市)

(2014年8月27日朝刊掲載)

年別アーカイブ