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連載・特集

廃炉の世紀 第1部 先進地欧州 <5> 政策転換(ドイツ) 

原発閉鎖 コスト重荷 「安全後回し」懸念の声

 福島第1原発の事故を受けて全原発の閉鎖を宣言したドイツだが、脱原発政策の始まりは2000年にさかのぼる。その後の政策の曲折が、廃炉の行方を二転三転させてきた。

 ドイツ南部、ライン川の支流沿いにあるビブリス原発(2基、出力計約250万キロワット)。福島第1原発事故直後の11年3月、政権の判断で運転を停止し、その後正式に廃炉が決まった。

 原発の敷地に人影はまばら。03年から働くアレクサンダー・ショルさん(31)は「外見は変わらない。ただ廃炉作業の開始を待っている」と原子炉建屋を見上げる。運営するRWE社が州に提出した廃炉計画が、最終的に認められるのは16年ごろの見通し。それまでは使用済み燃料を建屋から運び出すこともできない。

 「冷水を浴びせられたようなショックだった」。RWE社のリタ・クレーマー広報担当は、閉鎖が決まった当時を振り返る。州の消費電力の約8割を担ってきた自負もあった。700人の社員は今後、半分程度の水準に減らされる見込み。数百人の下請け労働者はさらに厳しいリストラが待つ。

 福島第1原発の事故後、いち早く脱原発を宣言したメルケル政権。だが、実はその前年に原発の稼働年数を延長し、脱原発政策を後退させていた。例えばビブリスの1基は、02年時点では11年に閉鎖の予定だったが、稼働延長で寿命が8年延び「19年」とされた。

 ビブリス原発は、運転を続ける前提で総額2100億円の投資を済ませたばかりだった。だが「予想外」の脱原発で一転、約1500億円以上の廃炉費用が重くのしかかる。

 旧東ドイツ域を除く国内の原発は、日本と同じく廃炉費用を企業が負担する。原発閉鎖で電力会社の経営は急激に悪化。RWE社は13年の決算が過去50年で初の赤字に転落した。同社はビブリス原発の運転停止の損害賠償を政府と州に求める訴訟も起こしている。

 「最終的に廃炉を終えるまで会社がもたない」との懸念も広がる。ビブリス原発は、放射能レベルが落ちるのを待たずに10~15年の短期で廃炉にする「即時解体」を選ぶ予定だ。将来、何十年間も技術者を教育せずに済み、コストが抑えられることも理由の一つにある。

 反原発の公益社団法人「核の相続者ビブリス」のフォルカー・アーラース代表は「明らかに無理な計画。安全が後回しにされかねない」とコスト優先の姿勢を批判する。廃炉計画が許可されるまで、州の公聴会などを通じて粘り強く安全性を監視するつもりだという。

 「原発がなくなるんだから安全に問題ないさ」―。こんな地元住民の楽観的な声が、アーラース代表は気になる。「電力会社や政治任せでなく、市民が監視していかないといけない」

ドイツの原発政策
 2002年、シュレーダー連立政権が脱原発法を成立させ、当時19基あった原発を22年までに全閉鎖すると決めた。一方、メルケル政権はエネルギー安定供給を理由に10年、17基ある原発の稼働年数を平均12年間延長することに変更。だが福島第1原発事故を受けて脱原発に転じた。

(2014年11月2日朝刊掲載)

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