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原爆開発携わった学者の孫 「核めぐる対話を」 被爆者と語り合う

 原爆を開発した米国のマンハッタン計画に加わった物理学者エンリコ・フェルミ(1901~54年)の孫オリビア・フェルミさん(57)が広島市と長崎市を初めて訪れた。祖父の「業績」を多様な角度から見つめ直す旅。広島では、海外での被爆体験証言に力を入れている七宝作家、田中稔子さん(76)=東区=の自宅に招かれ平和への思いを語り合った。

 エンリコ・フェルミは38年、ノーベル物理学賞を受賞したイタリア人。ユダヤ人の妻がムソリーニの独裁政権から迫害されるのを恐れ、授賞式に出席した際、米国へ亡命した。その後マンハッタン計画に参加。核分裂の連鎖反応の制御に世界で初成功するなど重要な役割を果たした。

 オリビアさんはカナダでカウンセラーとして活躍。祖父と会ったことはないが、偉大な功績と原爆被害という現実のはざまで葛藤(かっとう)してきたという。米国の敵国出身として警戒されながら最高機密を扱っていたのなら、語れない思いもあったろう―。そんな関心も抱いていた。

 「胸にしまい込むより、核をめぐる対話を広げよう」。数年前からブログによる発信や講演、ワークショップの開催などを通じて米国内の核実験被害者や科学者らと交流している。

 初対面の田中さんは、6歳の時に爆心地から約2・3キロで被爆した体験を語った。右腕のやけどの痕を見せながら「被爆者には消えない傷が心にもある」と伝えると、オリビアさんは何度もうなずいていた。田中さんが、非政府組織(NGO)ピースボート主催の世界一周の船旅に近く参加、船上や寄港先で体験を証言する計画にも話が及んだ。

 オリビアさんは「被爆者として平和のために活動するエネルギーに深い印象を受けた。広島に来て本当に良かった」と感謝。「将来世代が生き延びるため、核兵器ゼロへの具体的行動が大切だ。私の力は小さいが、多様な人々をつなぐことで貢献したい」と話していた。(金崎由美)

マンハッタン計画
 第2次世界大戦中、ルーズベルト大統領の命令により、1940年代初頭から秘密裏に推進された米国の原爆開発計画。優れた科学者と巨額の資金を投入し、ニューメキシコ州のロスアラモス研究所を中心に、テネシー州オークリッジの施設では広島型原爆に使われたウランを、ワシントン州ハンフォードでは長崎型原爆に使用されたプルトニウムを製造。45年7月16日にニューメキシコ州アラモゴードで人類史上初の核実験に成功、8月6日に広島、9日長崎に原爆が投下された。

(2014年11月17日朝刊掲載)
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