連載・特集

小山田浩子(芥川賞)×和田竜(本屋大賞) 広島ゆかり作家 新春対談

 広島ゆかりの作家である小山田浩子さん(31)と和田竜さん(45)は、文壇からも地元からも注目を集めている。昨年は、小山田さんが小説「穴」で広島県出身者では初めてとなる芥川賞を受賞し、和田さんは小説「村上海賊の娘」で本屋大賞を射止めた。ことしもさらなる活躍が期待される2人が、郷土へ寄せる思い、小説の魅力や被爆70年を迎えるヒロシマをテーマに語り合った。(聞き手は文化部長・渡辺拓道)

デルタの風景浮かべ創作

郷土への思い

小山田 中央と距離 心地いい 和田 作家在住 地元に刺激

 ―和田さんは生後3カ月から中学2年まで、広島市安佐南区川内で過ごされました。広島の思い出はいかがですか。
 和田 歴史物で風景を描くとき、山に挟まれ、真ん中に太田川が流れている、そんな風景を漠然と思い浮かべたりします。少年のころ、山に登ったり川で泳いだり。その時の気分を思い出しながら書くことはあります。そういう場所を持てて良かった。

 ―小山田さんの作品には、広島の風土がどのように投影されていますか。
 小山田 私は広島しか知らないので、広島らしいかどうか分からないんです。例えば、海や山の色、湿度は地方によって違う。海って書いたら瀬戸内海のあの感じ、大きい川といえば太田川だったりする。その辺りは、意識せず書いている。

 ―地方で創作を続ける意義は。
 小山田 選択していったら、たまたま広島で事が足りただけ。だから、そこに意義はないんですね。大学を選ぶときは、小説家になるなんて全然考えていなかったので。

 和田 学部は何だったんですか。

 小山田 文学部です。子どものころのように本気で作家になりたいと思っていたら、現役作家が教壇に立つような東京の大学に行こうと頑張った可能性は高いですね。でも結果として、広島が自分の性格に合っていた。華やかに活躍する人が周りにいると焦ると思う。中央と距離があって良かったなと思います。

 和田 東京に引っ越して思ったのは、テレビや映画を発信する場所が物理的に近くなると、そこに関わるハードルがすごく下がる。僕は、東京の大学に入って、テレビ局に行こうとか映画監督になろうと思った。ずっと広島に住んでいたら、そんなことを考えただろうか。翻って小山田さんは、よくそのハードルを越えたなって。広島にいて、書いて、それを東京の出版社の文芸誌に載せようっていう発想に僕ならなれなかった気がする。それで芥川賞。すごさを感じますね。

 小山田 初めて新潮新人賞に応募した原稿は、封筒で送ったんです。封筒に新潮社の住所を書いた時、「新宿」って言葉に現実味がなさ過ぎて。だから、選考結果の電話があった時も、本当なのかと。

 和田 東京で書いている作家は結構多い。となると、発想が割と似てきたりする。そこから逃れることができるのが、地方で書いている強み。小説の持つ楽しさや良さは、どこで考えても変わらない。

 小山田 和田さんがおっしゃった心理的な距離は分かります。一方で、メールですぐにやりとりできてしまう。別にどこにいたっていいんですよね。小説って、何歳でもデビューできる可能性があるし、容姿も経歴も関係ない。入り口は、文章だけで評価してもらえる。地方という枠を設けるとすれば、本人の意識しかないと思います。

 ―地方の文芸をどう盛り上げていけばよいでしょうか。
 和田 広島で出す作品が全国に広がらないという話なら、現実的には東京の大手出版社と連動しての発信が必要でしょう。本を読もうという気持ちを高めるには、その土地に作家がいることはかなり重要。広島にいたころ、歌手の村下孝蔵さんが近くに住んでおられると知って、すごい刺激になった。小山田さんのような作家が地元にいるのは、とても大切だと思います。

小説の魅力

小山田 読み手によって違う本に 和田 著者が話し掛けてくれる

 ―活字離れが指摘され、ツイッターなど新しい発信ツールが浸透しています。活字、書籍、文学をめぐる現状をどう見ていますか。
 小山田 本を読む人の数は、いや応なく減っている。でも、ゼロにはならない確信もあります。

 和田 本を出して思ったのは、とりわけ若い人が、映画を見たりゲームを買ったりするのと同列に本を買うことを考えている。だから本に対して「これ買ったら必ず面白いんでしょうね」っていう保証を与えてくれないと買わない。

 小山田 インターネットで情報を簡単に発信できます。ただ、そうやって発信される文章の精度、例えば漢字変換ミスが気になる。料理のレシピの投稿で、「大さじ1杯くらい」の「くらい」が「暗い」になっていたりしてびっくりします。私も原稿の誤字脱字を直してもらいますが、その前に自分でも読み返して確認します。おそらく若い人は、そんなの重要じゃないと思っている。ツイッターなどは瞬時のやりとりが大切でしょうから。でも、誰もがこんなふうに読み返しもしないで文章を発信したら活字文化はどうなってしまうのだろうかとも思います。

 和田 僕が違うなと思うのは、先生や大人がこれを読みなさいって押し付ける読書体験。子どものころ、本を全部読んだらクリスマスプレゼントを買ってあげると言われ、ますます本嫌いになった。自然な形で、子どもたちが本に触れて楽しいと知る機会が大切だと感じます。

 ―小説が持つ魅力は。
 和田 テレビや映画と違って、著者が自分に語り掛けてくれる気がします。「穴」だったら、小山田さんが僕に話してくれるような。これは私だけの本だという錯覚を感じることができる。

 本を読むのは他とは違う快感がある。すごく集中して、読み終わると心地よい疲労感がある。能動的に関わらないと、本って面白くないじゃないですか。

 小山田 今、読んでいる本との関係は、世界でこの瞬間、自分とその本の間にしか結ばれません。読み手によって同じ本でも全然違う本になる。その関係は、10年後に同じ人が読んでも変わる。今読んだ自分だけ、今だけという体験はすごく貴重です。ただ、それは大変で疲れる。そこをデメリットと取るかメリットと取るかは、世代差があるかもしれませんね。

2014年を振り返って

 ―昨年を振り返っていかがですか。
 和田 作家として2007年にデビューしてから、一つのピークの年になったと思います。中学生まで育った広島市を訪れる機会も増えました。それまでは20歳のころに帰ってきたのが最後。疎遠になっていたので、広島に新たな縁ができたような、そんな思い出深い年にもなりました。

 小山田 何が一番変わったかというと、おととし出産したので、小説よりも子育ての方が比重として明らかに大きかったですね。本当は、芥川賞を取ったらもっと大変になるはずなのに、ほとんど子育てを優先せざるを得なかった。

 妊娠をきっかけに仕事を辞め、初めて書くだけになりました。昨年はデビューして5年目。子育てと両立できる範囲にはなりますが、本当に小説家になった気がする一年でした。

ヒロシマいつか書きたい

創作の作法

和田 史実の点を線で結ぶ 小山田 自分を解き放つ作業

 ―和田さんの作品を読まれた印象をお聞かせください。
 小山田 「村上海賊の娘」を読み、会話や改行の位置、史実の挿入の仕方が、普段自分が読んだり書いたりするのと違って驚きました。純文学では語り手がすごく大事。和田さんの作品は、誰が語っているんだろうと思いました。

 和田 僕の作品は、禁じ手だらけって言われたこともあります。司馬遼太郎や海音寺潮五郎の歴史小説が好きで、そうした作品には割とあるスタイルです。

 小山田 それがすごく印象深かったのと、史実に基づくわけですよね。この人はこの戦で死ぬ、最終的にこの人は負ける。それをそのまま書くというのが、私には想像のつかない作業。どうやったらそんなことが可能なんだろうと。

 和田 小山田さんは、書く時に構成を決めないんですか。

 小山田 タイトルも登場人物も決めません。

 和田 僕、最初にがっちり決めちゃうんです。史実の点の間を、線で結んでいくイメージですね。

 ―和田さんは、小山田さんの作品についていかがですか。
 和田 改行があまりなくて、そこに、不満や不穏な空気が積層される感じがあり、緊張感が高まっていく。読んでいて心地よかった。それに、広島で書かれているからかもしれないのですが、山や河原の感じは、住んでいた川内(広島市安佐南区)を思い出しました。小山田さんは、執筆のとっかかりはどんな感じ。

 小山田 妊娠前は、何があっても毎日1行は書こうって決めてました。パソコンに向かって、手を待つというか…。

 和田 えっ!?

 小山田 キャッチフレーズや仮タイトルが浮かぶんです。小説「穴」では、「夏」と「嫁」がずっと仮タイトルでした。「嫁」って思いながら1文を打つと、その1文によって次の1文が来るのを待つ。気持ち悪いですよね。

 和田 そうですね。

 小山田 例えば、おもちゃのブロックの山を前に、何でもいいから作ろうという感じです。気に入った色を組み合わせてパーツを作る。これはお城の天守閣っぽい、と脇に置いておく。また作って、これは門かなとか。パーツができた時点で、全部で何になるんだろうと考えます。たまった物を見て、お城じゃなくてロボットかもと思ったら、そのパーツを足す。

 和田 天才だ。

 小山田 いえ、全然そんなことはないです。子どもの遊びみたいです。書きたいことを書いて、つながりを見つける。自分を解き放つような気持ちで書きます。和田さんは、コントロールしながら書く感じですか。

 和田 ストーリーの中で、この登場人物はこうなるというのは、構成段階で決めてしまいます。

 小山田 書く時にそれを裏切ることは。

 和田 ありません。最初から最後まで、盛り上がりはこう、このシーンの次にはこのシーンと、考え尽くします。人物の行動も伏線も決める。そして、いかに楽しく読んでもらえるかを考え、自由に文章にしていきます。骨子はあるので、あらぬ方向にはいきません。小山田さんみたいに感性で書かれる人は、すごいなと思う。

 小山田 和田さんのように計算できる方がすごいです。

被爆70年

和田 「反すう」し語り継ぐ 小山田 記憶から想像力発動

 ―ことしは戦後70年、被爆70年の節目です。和田さんは歴史小説を中心に書いておられます。作品や自らの生き方に、広島時代の体験が表れていますか。
 和田 それはありますね。中学3年で東京に引っ越して驚いたのは、クラスメートが原爆投下の日を知らなかった。広島では、被爆者も周りにいて、戦争ってすごく恐ろしいものだと衝撃を受けました。

 大学生になり、司馬遼太郎の小説を読むと、戦争は、どうしようもなく起きてしまうこともあると、考え方がちょっと変わったんです。それが新鮮で、戦国物を書くきっかけにもなった。でも、やっぱり、戦争はとにかくやったらおしまい。民は塗炭の苦しみを味わうことは肝に銘じておかなければ、というのが根本にあって良かったと思います。だから、小説の中で随所に、ちらりと触れたりすることがありますね。

 ―小山田さんは広島で生まれ育ちました。広島ならではの原爆文学などの影響をどうお考えですか。
 小山田 言葉で表せない奥のレベルで、影響は絶対にあると思います。身近に被爆者や被爆2世、3世の方がおられる。別の地域からみれば、特異な悲劇だと思われるかもしれませんが、それは違う。広島では、そういった方がいて、その影響かどうか誰も断言できないかもしれないけど、今もずっと苦しんでおられる方もいる。何ら解決していないこともあるんですね。

 ただ、それを何らかの形で発信するのは、すごく難しい。私が語ったとしても、責任を持てる文章ではなくなってしまうように思うんです。ヒロシマに向き合うことにおいて、私はいつか、きちんと創作の形で出せたらというのが、目標というか希望としてありますね。

 和田 原爆をモチーフにした作品を書くのですか。

 小山田 モチーフにしたものか、あるいはつながる作品ですね。もしかしたら、読んでも一見、全然関係なく見えるかもしれないけれど、自分としては、吸い上げたと思える作品が書けたらと思います。

 ―ヒロシマを語り継ぐために何が必要でしょう。
 和田 根本は、反すうするしかないと思います。やめれば、反すうしなくていい事実だったという認識になる。やすきに流れていくことがあると思う。

 小山田 想像力だと思います。想像力って、たぶん記憶の上でしか発動しないんですね。記憶がないと想像できない。その記憶のベースがなくなると反省することもできなくなってしまう。映像で残せる被爆者の証言は全て撮って、文字にできるものは全て残して、後からゆっくり考えてもいいと思います。

2人の抱負

 芥川賞を受賞後、依頼された短編などをいくつか書きました。長編はまったく何もないので、取りかかる気持ちになればと思っています。次作の構想はまだありませんが、妊娠や出産という今までにない経験をしたので、何かでそれが出てくれば面白いでしょうね。

 取材などで次回作をよく聞かれるんです。「村上海賊の娘」を4年ぐらいかけて書いたので、今はお休み中です、と言い続けて1年たってしまいました。あとは、この機会に戦国時代の知識を深めていきたいと思っています。

わだ・りょう
 1969年大阪府生まれ。生後3カ月で広島市安佐南区川内へ。川内小、城南中に通う。早稲田大政治経済学部卒。繊維業界紙記者だった2003年、脚本「忍ぶの城」で城戸賞。同脚本は07年に「のぼうの城」として小説化。14年、「村上海賊の娘」で本屋大賞。さいたま市在住。

おやまだ・ひろこ
 1983年広島市佐伯区生まれ。広島大文学部卒。地元出版社や大手自動車メーカー子会社などに勤める傍ら執筆を始める。2010年、「工場」で新潮新人賞を受賞しデビュー。13年、単行本「工場」で織田作之助賞。14年、「穴」で芥川賞。同区在住。

文・石井雄一、石川昌義、写真・増田智彦

(2015年1月1日朝刊掲載)
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