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金子一士氏が死去 89歳 広島県被団協理事長

 被爆者運動を引っ張ってきた広島県被団協理事長の金子一士(かねこ・かずし)氏が4日午前4時15分、肺炎と急性心不全のため広島市中区の病院で死去したことが8日、分かった。89歳。広島市安芸区出身。葬儀は5日、近親者で済ませた。広島県被団協が後日、追悼の会を開く予定。

 1945年8月6日、広島県海田町で原爆の閃光(せんこう)を見た。9日、松江市から救護に来た医師と看護師に偶然出会い、道案内するため広島市内に入って被爆した。戦後、教職に就き、86年に市立中校長を退職。88年に県被団協の事務局次長となり、副理事長を経て、93年から理事長を務めていた。

 世界の核実験に抗議する座り込みを続けたほか、国内外で被爆体験を証言。草の根運動を重視し、地域の組織づくりにも力を入れた。被爆者援護法制定を求める運動に尽くし、原爆症認定集団訴訟も進めた。(田中美千子)

「核廃絶へ固い信念」 金子一士さん死去 関係者ら悲しみ

 県被団協の理事長を20年余り務め、被爆者運動に尽くした金子一士さんの訃報が伝わった8日、ゆかりの人に悲しみが広がった。

 「精神的な支柱だった」。1980年代から共に活動してきた吉岡幸雄副理事長(85)は肩を落とした。93年に理事長に就いた金子さんは、96年に被爆者の幅広い悩みに応じる相談所を設置。地域組織づくりにも尽くした。草の根運動に励む一方、欧州などでも被爆体験を語ってきた。「穏やかでちゃめっ気もあるが、核兵器廃絶への信念は誰より強固だった」

 公の場に姿を見せたのは昨年6月、中区であった県被団協の定期総会が最後だった。その場に、もう一つの県被団協の坪井直理事長(89)も来賓として招かれた。数年ぶりの再会に「うれしくて、思わず握手を求めた」と懐かしむ。

 2人は同い年。しかも市立中学校の校長を務めた経歴も重なり、それぞれの運動に加わる前から酒を酌み交わし、教育論を語り合う仲だった。

 旧ソ連や中国の核実験などをめぐって原水爆禁止運動が分裂したのとほぼ歩調を合わせ、64年から並び立ってきた二つの「県被団協」。金子さんが98年、統一を呼び掛けたこともあった。坪井さんは「平和を勝ち取るとの目標は同じ。被爆70年の節目に2人で統一を実現できたら、と思っていた」と残念がる。

 松井一実市長、湯崎英彦知事もそれぞれ談話を発表。功績をたたえ、追悼した。(田中美千子)

(2015年1月9日朝刊掲載)

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