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連載・特集

【ナガサキ情報~西日本新聞から】片岡ツヨさんを悼む

カトリック信仰を支えに 被爆体験語り平和訴える

 昨年末、93歳で亡くなった長崎原爆の被爆者、片岡ツヨさん(長崎市)。顔に大きなケロイドが残りながらも、カトリックの信仰を心の支えに自らの体験を語り、平和を訴え続け、ローマ法王にも面会した。証言資料や生前の取材から足跡をたどる。

 片岡さんは24歳の時、爆心地から約1・4㌔の三菱兵器大橋工場で被爆。親類13人を亡くした。顔や手に大やけどを負った片岡さん。入院先に落ちていた鏡の破片で、ケロイドが残った顔を見た瞬間は「化け物と思った」という。

 原爆被害の苦しさから救ったのはカトリックの教えだった。1981年、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の来日をきっかけに、語り部活動を約年間務めた。84年には、長崎平和祈念式典で「平和への誓い」を読み上げた。

 人生最大の喜びは82年に訪れる。自身も登場する記録映画「にんげんをかえせ」を届けるため、被爆者代表としてバチカンに向かい、ローマ法王と面会。晩年の取材では、当時の興奮を思い出すかのように笑顔で話していた。

 片岡さんを国内外に発信したのは、写真家の故東松照明さんだった。61年から50年近く撮影し続けた。2012年に東松さんが亡くなったときは「心優しい人だった。東松さんは忘れてはならんと思います」と語った。

 片岡さんと親交があった人からは悼む声が相次ぐ。被爆者の深堀好敏さん(85)は、片岡さんがローマ法王の「戦争は人間の仕業」という発言を聞いて発奮し、別人のように語り部を始めたときのことを思い出す。「私のことが平和に役立つのであれば体験を話さなければと言っていた。浦上のカトリック信者を代表して、ケロイドをものともせずに語り部をしてくれてうれしかった」。そして「今はご苦労だったねと声を掛けたい」としのんだ。

 片岡さんの葬儀に参列した深堀柱(あきら)さん(84)は、教会の前方で祈りをささげていた姿が印象的だったと振り返る。「片岡さんの体験を書いたメモを見直して、悲しさがこみ上げた」と話した。

(西日本新聞・北島剛、田村真菜実)

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