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社説・コラム

福山の記念館 大塚信館長に聞く 視野広げ悲劇伝えて スタディーツアー 31日に報告会「ヒロシマとホロコースト」

若者の行動力に期待

 戦後70年の今、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を学ぶ意義は何か。被爆地広島の若者に何を期待するか―。欧州スタディーツアー(主催・公益財団法人ヒロシマ平和創造基金)の報告会が31日、広島市で開かれるのを前に、ホロコースト記念館(福山市)の大塚信館長(66)=京都市右京区=に聞いた。(宮崎智三)

 1971年にイスラエルを訪れた時、偶然アンネ・フランクの父オットーさんに出会った。優しくて謙虚な素晴らしい人格。以来、親交を重ねた。「平和をつくるため、何かをする人になってください」。贈られた言葉が、その後の人生を変えた。

 福山市の御幸教会で牧師をしていた95年、ホロコースト記念館を設立した。展示資料は、世界中の関係者に手紙を出したり強制収容所などを訪れたりして数年がかりで集めた。

 子どもに分かりやすくと考え、教育面に重きを置いた。600万人を超すホロコーストの犠牲者のうち、約150万人がアンネをはじめとする子どもたちだったからだ。

人が生きる意味

 ホロコーストは、人間が生きていることの深い意味を考えさせる。「なぜ人間は互いに仲良く平和に暮らせないのだろう」。アンネが発した問い掛けは、70年たった今も、新しい意味を持って迫ってくる。

 人間の弱さは、アンネが生き、そしてホロコーストの犠牲になった70年前と変わっていない。ともすればステレオタイプ(先入観)で判断しがちだ。例えば米中枢同時テロ(2001年)の後、ごく一部の人しかテロに関わっていないのに、イスラム教徒はみなテロリストだとの決めつけが横行した。ホロコーストにまでつながる危険性をはらんだ考え方だ。

 あまりにも無残に命が踏みにじられたのは、被爆地広島、長崎も同じだ。どう伝えていくか。被爆者も同じだろうが、強制収容所からの生還者が少なくなってきている。70年という大きな節目、若い人たちが何かを創造して発信しないと、悲劇は単なる歴史的な出来事として終わってしまう。

 スタディーツアーのように、広島の若者が行動したことに意味がある。広島、長崎が今何かを訴えてもアジアの国などでは、あまり耳を傾けてくれなくなっている。戦争中の日本の行動、つまり加害に頬かむりしている、との先入観を持たれているからだろう。

本質に迫る必要

 自分たちの被害を訴えるだけではなく、少し視野を広げてみる。ホロコーストをはじめ外国の悲劇にも目を向ける。そうした姿勢を示す必要があるのではないか。

 ツアーに参加した若者たちには、次のステップを目指してほしい。知識やデータのレベルに甘んじるのではなく、できる限り深めて本質に迫っていく。漠然とした決意にとどまっていても駄目だ。国内どこでも行って、知ったことを広める。そして若い人たちの関心を呼び起こす―。かつてオットーさんに言われたように、具体的に行動することを若者に期待したい。

おおつか・まこと
 1949年京都市生まれ。同市内の神学校を卒業後、イスラエルに語学留学。京都府京田辺市の教会を経て、90年から19年間、福山市の聖イエス会御幸教会牧師。95年、国内初のホロコースト記念館を設立、館長に就任。2009年から嵯峨野教会(京都市)主任牧師。

ホロコースト記念館
 戦後半世紀の1995年、第2次世界大戦中のナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を語り継ぐため、福山市の聖イエス会御幸教会の敷地内に開館。資料集めに奔走した牧師の大塚信氏が館長に就任。2007年には、鉄骨2階建て約810平方メートルの新館が近くに完成。約千点の資料や書籍を展示しているほか、アンネ・フランクが日記をつづったオランダ・アムステルダムの隠れ家の部屋を再現。開館以来約14万1千人が訪れた。

(2015年5月25日朝刊掲載)

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