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被爆アオギリ 自ら重ね 沼田さん死去 ゆかりの人 悼む声

■記者 金崎由美

 被爆に耐えて再び芽吹いたアオギリに自らを重ね、体験を修学旅行生たちに語り続けた沼田鈴子さん(87)が亡くなった12日、ゆかりの人たちの間に悲しみが広がった。

 沼田さんと「アオギリのねがいを広める会」を結成し、全国に種を送ってきた清水正人事務局長(55)は「子どもたちとアオギリに向けた慈愛に満ちたまなざしが忘れられない」と声を落とした。

 沼田さんが証言を始めたきっかけは「10フィート運動」。永井秀明さん(75)=府中町=が1981年、米国から買い戻された原爆被害の記録フィルムに写っていた沼田さんを捜し当てた。フィルムを基に記録映画「にんげんをかえせ」が完成すると2人で米国や英国などを上映行脚した。

 永井さんは「前向きな人。アジアの人たちと交流し、戦争中の日本の『加害』の側面も直視する被爆者でもあった」と評した。

 沼田さんはアオギリに生きる希望を見いだし語る決意を強めた。「今年も8月6日を前に沼田さんに会いたいという人が多かった。残念な限り」。沼田さんとともに「ヒロシマを語る会」(2001年解散)で活動した、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の豊永恵三郎広島支部長(75)は悔やんだ。

 広島市の松井一実市長は「故人の遺志を受け継ぎ、被爆体験や平和への思いを次世代の人々と共有し、世界に広がるよう全力を尽くすことを誓う」とのコメントを出した。

(2011年7月13日朝刊掲載)

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