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社説・コラム

原爆供養塔に眠る死者追う 名前や住所残る815人 三原出身の堀川さん、遺族捜しの記録 本に

 平和記念公園(広島市中区)の原爆供養塔には、身元不明の約7万人の遺骨とともに、名前や住所が書き残されていた815人の遺骨が納められている。三原市出身のジャーナリスト堀川惠子さん(45)が、塔地下に眠る死者たちに向き合ったノンフィクション「原爆供養塔」(写真下・文芸春秋)を刊行した。講義で母校の広島大を訪れた堀川さんに、新著に込めた思いなどを聞いた。(石井雄一)

 原爆供養塔は、堀川さんが広島テレビ放送の記者時代から気になっていたテーマだという。当時、最後の取材現場は、2004年の似島(広島市南区)での遺骨発掘調査。見つかった遺骨に木の根が巻き付いていた。「放っておいて今更、と骨が拒絶しているように見えた」。自分は、死者に向き合ってこなかったのでは。東京に拠点を移してからも「いつかやらなきゃ」と思い続けていた。

 12年夏、納骨名簿を基に遺族捜しを始めた。翌年の春に訪ねたのが、かつて原爆供養塔で掃除や草取りを続けていた佐伯敏子さん。何かヒントをいただけるのでは、との予感があった。施設暮らしの佐伯さんは、弱々しく見えた。ところが、「供養塔のことを話し始めた途端、内にあるエネルギーがあふれたようだった。それは死者がないがしろにされている怒りなんだよね」

■女性の半生描く

 この女性の半生を描こうと決めた。現在95歳の佐伯さんは、母や兄たち肉親13人を亡くし、自らもあの日、廃虚に入った。助けを求める負傷者に何もできなかったことを悔いて、原爆供養塔に日参した。名簿を頼りに一人で遺族を捜して遺骨を届ける活動が、行政を動かした。そうした話を聞き、「語れなくなった死者たちに向き合ってきた人」だと痛感した。

 本書後半では、佐伯さんに導かれるように、堀川さん自身が進めた遺族捜しをつづる。「行けども行けども、番地がなかったり、思い当たる人が住んでいなかったり。70年がいかに遠いものか」を思い知った。

 くじけそうになった時、夫から「やるべきことは、人捜しじゃないのでは」と言われ、ハッとした。「そもそも私は、死者に向き合おうと思ったんだと」。それからは、度重なる空振りにも意味を感じた。

 取材を進めると、さまざまな事実が浮かび上がってきた。遺体を焼く任務を担った少年兵たちが死者の名前を書き残していたり、死者とされた人が実は生きていたり、犠牲者の出身地が全国に散らばっていたり。「原爆を落とす不条理がまずある。それだけではなく、あの日、人々が全国から広島に集められていた国家の不条理も感じた」

■「あの日のまま」

 被爆70年に意味はない、が口癖の佐伯さんから言われた言葉がある。「生きとるもんは、勝手に年を刻んで、死者を過去のものにしてしまう。供養塔の地下に眠る死者はあの日のまんまなんよ」

 堀川さんは「佐伯さんの言う、縁をもらった人が、自分のできる範囲で伝えていく。それをやり続けるしかないんだろうね」と自らに問い続ける。

 四六判、360ページ。1890円。

(2015年6月20日朝刊掲載)

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