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[戦後70年 県北から] 被爆体験 説明に工夫 「言葉だけでは子どもに戦争のむごさを伝えきれない」 資料を手作り 三次の半田さん

 爆心地から約1キロ離れた広島陸軍病院(広島市中区)で看護師として勤務中に被爆した、三次市三良坂町の半田孝江さん(89)が7日、同市吉舎町の吉舎中で1、2年生55人を前に被爆体験を語った。主に子ども向けに伝承の活動を始めて30年余り。「今の子どもにも分かりやすい工夫を」と手作りの図などを交えて語り掛ける。(城戸良彰)

 半田さんは、広島に投下された原爆「リトルボーイ」の原寸大の平面図や、爆発時の高度や温度などを絵入りで示した図など手作り資料を使い説明した。「割れるような音と刺すような光が一瞬で広がった」「額などに深い傷を負い、原爆症の症状も出て2カ月間生死の境をさまよった」と語り、「戦争や核の被害は人間の考え次第で防げる」と訴えた。

 2年の小河内実和さん(13)は「原爆の被害は想像以上。あらためて戦争はいけないと感じた」と話していた。

 半田さんは戦後、小中学校の養護教諭として勤務。仕事が忙しく思い出したい記憶でもなかったため、あえて体験を話すことはなかった。同僚たちの勧めもあり退職直前の1984年、語り始めた。

 資料を作り始めたのは5年ほど前。「被爆から長い時がたち、言葉だけでは子どもに戦争のむごさを伝えきれないと感じた」からだ。被爆70年のことし、体験を語るのはこの日で4度目。求めに応じて続けるつもりだ。「助けてもらったありがたみを胸に、命や平和の大切さを伝えていく」と力を込める。

(2015年7月8日朝刊掲載)

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