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連載・特集

びんごの70年 因島空襲 <4> 捕虜の日記

収容生活や被弾 克明に 共同墓に英国人

 約200基の墓石が並ぶ尾道市因島三庄町の無量寺の墓地。中央付近に、高さ約120センチの阿弥陀(あみだ)如来像が立つ共同墓がある。戦時中に因島で亡くなった英国人捕虜たちもここに眠る。「捕虜の存在を知る住民はごくわずか。どのような最期だったのでしょうか」。寺の僧侶、深水純司さん(48)は静かに語る。

 1942年11月、寺の近くに「八幡仮俘虜(ふりょ)収容所因島分所」ができた。ジャワ島と香港で日本軍に捕らえられた英国軍人計約200人が収容され、日立造船因島工場で作業に従事。45年7月28日の空襲で犠牲になった捕虜はいないが、栄養失調などで12人が死亡した。

 「約3年の収容所での生活について、家族に何も語らなかった」。ドイツ在住のイアン・プリチャードさん(76)は振り返る。英国空軍の隊長だった父、ハロルドさん(70年に63歳で死去)は捕虜となり、終戦で因島から帰国した一人だった。

 約10年前、父の人生をたどろうと情報収集を始めた。帝国戦争博物館(英国)に父の日記が保管されていることが分かり、そのコピーを入手した。

 日々減っていく体重を記録したグラフ、読んだ本のリスト、与えられた賃金…。まるで生きた証しを残すかのように、丁寧な筆記体で詳細につづられていた。「捕虜生活の苦しみや、失った仲間を忘れまいと残したのだろう」

遺族ら30人訪問

 空襲の様子を克明に日記に書いた捕虜もいた。同じく英国空軍所属だったトム・ジャクソンさん(2012年に89歳で死去)は「戦闘機が四つの爆弾を落とした直後、巨大な煙とがれきが空に舞い上がった」「同僚が爆弾の破片で左腕にけがを負った」などと記している。

 深水さんによると、無量寺に眠る捕虜たちの遺骨は戦時中、日立造船から預かってほしいと当時の住職が頼まれた。共同墓を建立する99年4月まで、木箱に入れて保管していた。これまでに遺族や、収容生活をともにした元捕虜たち計約30人が墓参に訪れた。

 イアンさんも08年4月、初めて因島を訪れ、収容所跡や無量寺の墓を巡った。日記を手に、父の戦争を追体験しようと歩き、捕虜と交流のあった人とも対面した。島は穏やかで、なにより平和だった。「戦争は多くの人の人生を翻弄(ほんろう)した。島で失われた命の重みを忘れてはいけない」(新山京子)

(2015年7月24日朝刊掲載)

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