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被爆を伝える。正田篠枝の決意 福山の文学館が書簡公開へ 

 広島で被爆し、原爆の惨状を詠み続けた歌人正田篠枝(1910~65年)が知人に宛てた直筆のはがきが見つかった。最晩年に病に苦しみながらも、生きる限り原爆の悲惨さを後世に伝えたいとの決意がつづられている。ふくやま文学館(福山市丸之内1丁目)が30日、発表した。同館は、8月1日~10月12日に開催する被爆70年の特別企画展「文学に描かれた8月6日」で初公開する。(加納亜弥)

 正田は広島市平野町(現中区)の自宅で被爆した。展示するはがきは3通で、消印は64年5月11日、同8月9日、65年1月27日。正田は最後の1枚を書いた5カ月後の6月15日、乳がんのため54歳で亡くなった。64年5月11日消印のはがきにはこうつづっている。

 わたくしは原爆以来 すつかり 駄目になつてしまいましたけれど みみずにも こけらにも使命というものがあるのだそうでございますから わたくしも使命を感じ 一日一日一刻一刻を大切に感謝の日暮しと 出来得る限りのことをいたします。(原文のまま)

 正田と親交があった徳島市の七宝工芸家の島ウタコさん(74)が自宅で保管。昨秋に同館を訪れた際、知人の紹介をきっかけに、31歳年上の正田と書簡のやりとりをした経緯を伝えた。同館が一部を借りて展示することが決まった。

 「太き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり」。正田の歌は広島国際会議場(広島市中区)の南側にある「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」の台座に刻まれている。ふくやま文学館の岩崎文人館長は「はがきからは、犠牲者の無念を伝えるという使命が最晩年でも消えることのなかった正田の強い心情がうかがえる」と話す。

 特別企画展では、正田や原民喜、大田洋子、栗原貞子たち被爆文学者を中心とする18人の書籍や雑誌、直筆原稿、創作ノートなどを幅広く展示する。同館は「言葉に敏感な文学者たちが表現した『あの日』は迫真性に富む。さまざまなジャンルの文学を通じ、原爆に触れてほしい」とする。  午前9時半~午後5時。月曜休館。一般500円、高校生まで無料。同館Tel084(932)7010。

(2015年7月31日朝刊掲載)

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