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[戦後70年 県北から] 塩町中被爆石柱 標柱で由来記す 縮景園→三次 郷土史友の会「反戦叫ぶとりでに」

 広島県三次市大田幸町の塩町中で、40年以上前、広島市から移され校内に立つ被爆石柱のそばに、地元の田幸郷土史友の会が30日、石柱の由来などを記した標柱を設けた。地域の史跡に看板を設置する活動を続けてきた友の会が、被爆の歴史を伝えるため、70年の節目に合わせて企画した。(城戸良彰)

 石柱は2本あり、それぞれ高さ約3・5メートル、1辺約45センチの四角柱で花こう岩製。旧広島藩主浅野家の宝物を集めて縮景園(広島市中区)内に開設された美術館「観古館」の門柱として1913年に建てられたという。

 経緯は不明だが、2本の石柱は71年に同中が現在地に移転した際、同中の正門として移設。2007年12月、現在の校舎に改築された時に駐輪場の入り口に移された。

 この日、友の会のメンバーたち7人が、東側の石柱のそばに標柱を取り付けた。標柱は高さ約1・6メートル、1辺約15センチのヒノキの四角柱。側面にはペンキで「被爆門柱」「広島浅野家の旧私立美術館(観古館)の門柱」などと記されている。

 友の会の米田速夫代表(89)は「広島市内でも被爆建物が消えゆく中、三次で石柱を守り続けていることは意義深い。三次から戦争反対を叫ぶとりでになってほしい」と話した。

(2015年7月31日朝刊掲載)

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