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社説・コラム

ヒロシマの直感 歯止めに 安保法成立

■論説主幹・佐田尾信作

 安全保障関連法が成立しゆく未明の国会中継を見ながら、24年も前の取材の記憶がよみがえった。国連決議を無視してクウェートを占領したイラクに対し、米軍中心の多国籍軍が武力行使した湾岸戦争の年だ。

 広島でも「即時停戦を」「中東で核兵器を使うな」と被爆者や市民がある日のデモを終えた時、1人の女性が「国を訴えることはできないのですか」と周囲に尋ねて回ったのである。「どしたんかな、このおばちゃんは」と、とっぴな行動に最初は首をかしげた。そのことを今となっては恥じ入るばかりだ。

 この戦争で日本は自衛隊輸送機の派遣を準備し、多国籍軍に戦費を提供した。一連の「貢献策」は憲法違反だとする差し止め訴訟が、ほどなく広島地裁に起こされた。くだんの女性が弁護士事務所を訪ね歩き、友人たちに参加を呼び掛けてこぎ着けたものだったのである。

 やがて100人規模の原告団に発展するが、彼女の思いの根っこには3人のいとこを長崎の原爆と太平洋戦争で亡くしたことがあった。当時の本紙記事に談話がある。「多くの犠牲の上に築いた平和なのに、日本が戦争に加担するのは許せない。なんとかやめさせなければ」

 隔世の感があろう。このたびの安保法には、改憲が持論だった人を含めて多くの憲法学者が違憲だと声を上げ、内閣法制局長官OBや元最高裁長官まで厳しく断じた。司法の世界の感覚でいえば、はなから「レッドカード」なのだ。

 与党・公明党の支持基盤である創価学会員も抗議デモにシンボルの三色旗を掲げ、広島県北では保守系議員らが異議を唱えた。となれば与党の国会議員諸氏の胸中に、いささかのためらいがあってもおかしくない。

 しかし、現実には「造反者」も出ないまま採決強行というゴールへ突っ走った。「もう決めたことだ」と結論ありきでプロセスを軽んじる巨大与党。その「気圧」を感じざるを得ない。

 思えば沖縄県名護市辺野古への米軍新基地建設の問題もそうだ。県民の総意や県知事の意向に反して進めようとしている。原子力政策にも通じる。福島の事故から4年半しかたっていないのに、九州電力川内(せんだい)原発1号機(鹿児島県薩摩川内市)の再稼働を全くためらわない。

 「1強政治」とは、つまりはこういうことなのだろう。

 政府はきのう、安保法に基づく自衛隊の海外派遣をめぐる国会関与の強化を閣議決定した。だが、有権者あるいは納税者の本質を見抜く目こそ、最大の「歯止め」ではないか。

 安保法については、違憲訴訟が今後相次ぐとの見方もある。四半世紀前の広島の一女性の直感は形なきレガシー(遺産)だ。これからも被爆地に暮らす者として、忘れてはなるまいと胸に手を当てている。

(2015年9月20日朝刊掲載)

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