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連載・特集

毒ガスの島70年 忘れ得ぬ記憶 <3> 医療現場の模索

外出困難 患者どうケア 竹原

 「胸の音を聞かせてみて」。呉共済病院忠海分院(竹原市忠海中町)の診察室。呼吸器内科医でもある近藤圭一分院長(57)が、80代の女性に話し掛けた。

 女性は「風邪をひくとのどが痛い」と28年前に初めて分院で診察を受けた。せきやたんにも悩まされ通っているという。1944年から45年8月まで、動員学徒として大久野島で毒ガス原料などの運搬作業をしていた。

 毒ガス製造に携わった人には慢性疾患の患者が多く、定期的な診察や状態把握が欠かせない。近藤院長は「高齢化で自宅から出られない患者が増えた。年々困難になっている」と思案している。

 分院によると、毒ガス障害者の外来延べ人数はピークの91年度には5万8374人だった。2010年度に2万人を割り込み、14年度は1万982人にとどまった。本年度も前年度を下回りそうだ。

検診車に注目

 それゆえ医師が患者の近くに出向く検診車の重要度が高まっている。一定数の患者が受診に来る竹原市や三原市などを訪れる仕組みだ。ただ現実は受診者の数も検診回数も大きく減っている。死亡による患者数減少もあるが、家の近くにさえ足を運べない患者も増えたという。医師の数や予算面の問題もある。

 05年度には県内44カ所で3029人が受診したが、12年度には25カ所1081人になった。本年度は9月末までで5カ所267人だ。

 「訪問医療やかかりつけ医との連携を充実させるなど新しい仕組みを考える時期にきている」。広島大(東広島市)の研究者でつくる大久野島毒ガス傷害研究会の河野修興会長(62)は提案、これからの在り方を模索する。

データ活用は

 診療データの活用法も課題になっている。分院開設から73年。問診や肺機能検査、胸部エックス線写真など毒ガス障害者の臨床記録は約3100件になった。最初にどんな症状が現れ、次にどんな状態に移行するのか。化学兵器など海外には毒ガスの後遺症に苦しむ人がおり、効果的な対処法が見つかる可能性があるという。

 分院は約10年前からデータを電子文書形式のPDFファイル化する作業を進め、近く完了する。ただ貴重なデータをどういった機関がどう活用していくのか。その先はまだ見えない。(山下悟史)

毒ガスの後遺症

 イペリットやルイサイトなどの毒ガスは、皮膚に付着すると激しい炎症を引き起こす。大久野島で製造に従事していた人たちには、肺炎や慢性気管支炎、呼吸器系のがんなども目立つ。空気中に漂っていたガスを吸い込んだためだ。呼吸が困難になるほどの激しいせきやたん、原因不明の頭痛に苦しむ障害者の事例も報告されている。

(2015年10月16日朝刊掲載)

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