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反核世論 世界で醸成 福竜丸被曝 故西脇氏の新資料 乗組員調査 実態を発表

 核兵器廃絶へ活動し、1995年にノーベル平和賞を受けた科学者の国際組織「パグウォッシュ会議」設立のきっかけをつくった一人が、被爆国の物理学者、西脇安(やすし)氏だった。ビキニ被災を受けた国民的な原水爆禁止運動にも支えられて欧米で核被害の科学的実態を発表し、反核を呼び掛けた足跡に、新資料の研究を通じて光が当たりつつある。(水川恭輔)

 54年3月1日、中部太平洋マーシャル諸島であった米国の水爆実験「ブラボー」で、第五福竜丸が被曝(ひばく)。16日に新聞報道で知った西脇氏は、帰港した静岡県焼津市へ大阪から夜行列車で急ぎ、翌17日に船体や乗組員などに付いた放射性物質を採取し、調べた。

 その後、自身や他の日本の科学者の研究データを携えて7月から欧州を行脚。「日本人、太平洋での核実験停止を要請」(54年8月17日ノルウェーの新聞)…。各国の記事は乗組員の健康障害に触れ、影響の大きさを伝える。後に反核運動をリードする英国の哲学者ラッセル氏は、西脇氏の報告を基に「汚い爆弾」と見抜いた物理学者のロートブラット氏から教わるまで、放射能汚染を「石油汚染より深刻ではない」と考えていたとされる。

 西脇氏は大阪市出身。大阪帝国大(現大阪大)で物理学を専攻し、戦時中は陸軍の核開発「ニ号研究」に関わった。戦後、放射線生物物理学を学びに米国へ留学した。

 「福竜丸の被害をすぐ世界に伝えようとしたのは、母親の影響だろう」。遺族から託された資料を整理する東京工業大の山崎正勝名誉教授(科学史)はみる。母りかさんは53年、大阪市を拠点に広島で被爆した女性の支援を開始。広島市民と連携し、ケロイド治療費の募金に尽力した。西脇氏の渡欧費用は、大阪で原水爆禁止の署名運動などを進めた市民や、企業が約200万円寄せたという。

 西脇氏は59年、核実験禁止を訴えた米国の科学者ポーリング氏の招きで渡米し、原爆の放射線被害などを約40回講演。東工大教授を経て68年にオーストリアにある国際原子力機関(IAEA)に移った。77年に退職後はウィーン大で教え、原発の事故リスクも研究した。晩年は大阪市で過ごし、遺族によると、2011年3月に起きた福島第1原発事故では「備えを言い続けたのに」といらだつ様子をみせたという。その月、94歳で亡くなった。

 長崎市で来月1~5日にあるパグウォッシュ会議の世界大会に参加する山崎名誉教授は言う。「広島、長崎、ビキニを経験した日本の科学者と市民の強い思いが会議の原点であると、西脇氏の研究を通じて知らせたい」

<西脇の活動とパグウォッシュ会議への動き>(敬称略)

1954年 3月 1日 米国が中部太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で「ブ
            ラボー」と称する水爆実験
        14日 乗組員23人が被曝したマグロ漁船第五福竜丸が静岡
            県焼津市に帰港
        16日 福竜丸が被曝と新聞報道
        17日 西脇安が焼津港で第五福竜丸の放射線量を測定。米原
            子力委員長宛てに被災状況を伝える手紙執筆
        18日 東京大の木村健二郎研究室が「死の灰」を分析。5月
            までにウラン237を含む放射性核種約30を同定
      5月    「水爆対策大阪地方連絡会」結成。原水爆禁止を求め
            る署名活動や、西脇の講演会を展開
      7月    西脇が欧州訪問。11月までに日本の研究者の「死の
            灰」調査を10カ国20カ所以上で報告
      8月    西脇がベルギーの大学で物理学者ロートブラットと面
            会。放射性物質の調査データのメモを渡す
     10月    西脇から報告されたウラン237などのデータからロ
            ートブラットが「ブラボー」の水爆を大量の放射性降
            下物をまき散らす「汚い爆弾」だと見抜く
     12月    ロートブラットから「汚い爆弾」と伝えられた英国の
            哲学者ラッセルが英BBCで「水爆が人類を危機に陥
            れる」と訴え
  55年 7月    ラッセル、アインシュタインら著名な11人が核兵器
            廃絶を訴える「ラッセル・アインシュタイン宣言」を
            発表
  57年 7月    宣言に基づくパグウォッシュ会議の初会合がカナダで
            開催。日本から湯川秀樹ら3人が参加

(2015年10月29日朝刊掲載)

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