×

連載・特集

核廃絶 思い届けるには 米ハーバード大のスキャリー教授に聞く

民主主義と核 共存できぬ 世界核被害者フォーラム

 「核兵器は民主主義の根本原則と両立し得ない」。米ハーバード大(マサチューセッツ州)のエレイン・スキャリー教授は、合衆国憲法の条文に着目しながら核兵器廃絶を説き、米国内で注目されている。21~23日に広島国際会議場(広島市中区)である「世界核被害者フォーラム」のプレイベントに招かれ、市内で講演した機会に聞いた。(金崎由美)

 ―国際法だけでなく、核超大国の国内法規からも核兵器問題を問うのは意外に思えます。どういった意味でしょうか。
 憲法は第1条8節で「戦争を宣言する権限は議会にある」としている。国が戦争をする前に、立法府の熟議と承認というハードルを課したものだ。しかし核兵器については、大統領とせいぜい20人ぐらいの側近が、数百万人でも殺せる兵器の使用を密室で決めることになる。議会のチェックという、民主的な国家統治の根幹が機能しない。

 もっとも、第2次世界大戦後の戦争は、議会の宣言を経ていない。核兵器の登場は、米国の戦争のあり方も変えたといえる。

 もう一つは「市民には武器を持つ権利がある」とする修正第2条だ。平和憲法を持つ日本では理解しにくいかもしれない。

 ―どういうことですか。
 銃規制論争で問題となる条文だが、本来は「自己防衛の権利は米国民に等しく分配されている」という意味だ。国が(自衛)戦争をするなら、国民の承認も得なければいけない。大統領が唯一、核使用の決定権を握ることとは相いれない。

 そもそも、自分の命を守ることは全ての人間が持つ根本的な権利である。核兵器は、使われる側の自己防衛も不可能にする。非人道的な破滅的結末を招く。

 ―民主主義の原則を担保しながら核兵器を保有することは不可能ですか。
 議会と国民が熟慮の末、「大量殺りく兵器を使ってよい」と政府に合意を与えること自体、ありえない。民主主義と核兵器は、共存し得ないのだ。だから廃絶するしかない。全ての核兵器保有国にも当てはまる問題だ。

 ケネディ氏は3回、ニクソン氏は4回、歴代大統領は本気で核兵器使用を検討した。ところが米国民は、核兵器の恐ろしさに無知だし、この瞬間も危険と隣り合わせでいることを自覚していない。現実には、7千発の核兵器を持ち、2千発はすぐ先制使用できる態勢を堅持している。

 ―米国民の関心の薄さには、被爆者や広島市民の間にもいらだちがあります。
 広島滞在中に2日間、原爆資料館を訪れた。大勢の修学旅行生に強い印象を受けた。被爆者の声はそれだけ伝わっている、と誇っていい。米国にも同じく原爆資料館がほしい。被爆者の声を聞くことは、米国民にとっても決定的に重要だ。

 私たちは、核兵器廃絶という思いを同じくする人たちと共感し合うだけではいけない。どんな言葉や音楽、視覚的なイメージであれば、より多くの人に届くのか。合わせるべき「周波数」をつかんでいない。探らなければいけない。

 1946年米国生まれ。コネティカット大で博士号取得。ペンシルベニア大准教授などを経て89年からハーバード大教授。専門は美学、英文学。昨年、「熱核兵器の専制君主制―民主主義と破滅の間での選択」を米国で出版。

(2015年11月16日朝刊掲載)

年別アーカイブ