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連載・特集

『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <4> 家族の支え

「お金出すが口は出さぬ」

  広島と東京を行き来するようになり、経済的な負担が増えていく
 私の旅費など、会社勤めの父の収入だけでは大変。そこで母は、「きっちんもりした」という店を袋町(広島市中区)の並木通りの辺りに開きました。小学3年のころかな。洋食屋さんでステーキが専門。ハンバーグもカレーもおいしかった。1階が店で2階が住まい。学校も袋町小に移った。この店が、ものすごく当たったんです。

 プロ野球の選手がよく食べに来たそうです。カープだけでなく、巨人や大洋の選手も。ステーキを2枚も3枚も食べちゃうんですって。今はもうありませんが、何十年と愛された店でした。

 父はスポーツマンだった  若いころ、ホッケーの選手でした。旧制山陽中(現山陽高)や明治大では「山陽に森下あり」「明治に森下あり」と言われるくらいだったそうです。その後も広島アジア大会で審判をしたり、広島県ホッケー協会の会長を務めたり。私の筋肉は、父からもらったと思います。すごく柔らかくて強い筋肉。バレエの練習で何度も肉離れをしたけれど、舞台の本番を休んだことは一度もありません。

  両親はいつでも、子どもが決めたことを応援してくれた。広島を離れるときも、背中を押した
 東京へ通う日々は小学5年まで4年間続きました。とうとう我慢ができなくなって。バレエを一生の仕事にしたい、東京へ出してほしいと両親に切り出したんです。すると、分かったと。「お金は出すけど、口は出さない」って。

 口は出さないと言われたら、子どもとしても、しっかりしなきゃと思うでしょ。親にそれだけ信用されているんだから。私は子どもがいませんが、親ならきっと口を出したくなっちゃう。もう2人とも亡くなりましたが、まだ小さな私の決断を支えてくれた。ありがたかったですね。その後の決断は何もかも事後報告。親は「あ、そうなの。体には気を付けてね」と言うだけ。とても勇気のある強い両親でした。

 ただ体が丈夫になってほしいという思いだけで出合わせてもらったバレエは、両親にとって全く知らない世界。母は言っていました。「あの子はバレエにあげた子だから」

(2016年1月22日朝刊掲載)

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