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連載・特集

『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <5> 祖母の背中

被爆 苦しみ越え前向き

  祖母の山根晴代さんが原爆に遭い、自身も被爆2世だ
 私が生まれる3年前。広島と長崎に原爆が落ちました。人類にとってあってはならないことです。祖母は広島の爆心地近くで被爆し、まともにやられちゃった。左半身に大やけどを負い、手の指もくっついてしまって。周囲に命を落とした方がたくさんいらっしゃったのでしょう。祖母も亡くなったと思われて、お経まで上げてもらったそうです。母も被爆しましたが、大きなけがはなかったんです。2人とも、原爆のことはあまり話しませんでした。

 祖母はとても明るく、強い人でした。「お経まで上げてもらったのに生きていられるなんて、こんな幸せなことはない」と笑いながら感謝していた。戦争や原爆が憎いとか、こんな体にされて苦しいとか、孫の私たちに何一つ愚痴を言わなかった。

 やけどの痕が残るのに、お風呂屋さんにも平気で行っていました。ただ祖母の写真はあまり残っていません。写真を撮りたがらなかったのかもしれません。

 母が店の切り盛りで忙しくなる中、同居を始めた祖母は、姉妹の面倒を見てくれた

 祖母は後に手術を受けましたが、手は不自由なままでした。だけど「親指は使えるから」と言って洗濯などの家事をしてくれた。手が不自由で駄目だと思うか、親指は使えると思うか。大きく違います。実にポジティブな発想です。一緒にいる私も気づかされました。バレエをやる上でも同じ。駄目だと思ったら駄目ですからね。何事もやっていけば何とかなる、絶対にできるんだ。こういう考え方、生き方を背中で見せてくれました。

  祖母は1980年、80歳で亡くなった
 神戸での公演を終え、東京に戻ってきたときだったと思います。亡くなったことを聞かされました。つらかったけれど、舞台人は親の死に目であろうと、会えないのは当たり前ですから。

 祖母は明るく希望を持って生きました。心の中にはきっと、すさまじい苦しみがあったのだと思います。生きていられることへの感謝と喜びを、知らず知らずのうちに教えてくれました。

(2016年1月23日朝刊掲載)

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