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連載・特集

『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <10> パートナー

人々に夢を届ける同志

  バルナのコンクールに一緒に出場した清水哲太郎さん。松山バレエ団を創立した清水正夫さんと松山樹子さんの長男だ
 初めて会ったのは1969年。「青のコンチェルト」という作品を一緒に踊ることになった。そのとき、清水がボソッと言うんです。「君は何のために踊っているの」って。私は「えっ」と、即答できなかった。「好きだから」と答えようと思ったけど、言葉が出てこなかった。

 そこで考えて、気付いた。芸術は人々の心に何か、ともしびを与えるもの。人を思いやり、平和を祈って踊り、みんなを幸せにするもの。そのために毎日稽古をしていくんだ、と。考えるきっかけを、ばっと突きつけてくれたのです。

  バルナのコンクールの後、モナコに留学した。哲太郎さんも一緒だった
 文化庁の海外研修で、マリカ・ベゾブラゾバ先生の元で学びました。世界中のアーティストが教えを求める「バレエの病院」みたいな先生。私は1年間、清水は2年間でした。2人で何時間も何時間も稽古しました。マリカ先生が「まだやっているの」って、あきれるほど。2人とも、踊りに関しては本当にしつこい。

  留学を終えた76年、2人は挙式。公私にわたるパートナーとなる
 結婚するなら、絶対にバレエの人じゃないと駄目だと思っていた。バレエにのめり込んでいましたから。でも、清水は私以上にのめり込んでいる人だった。私たちって同志みたいなもの。「普段はいかがですか」と聞かれても、同志としか言いようがないの。普通の夫婦みたいな感覚はありません。一応、結婚式を挙げたけれど、すぐに舞台が控えていた。新婚旅行なんて、ないです。

 今は清水が松山バレエ団の総代表。演出や振り付けもやっていて、すごいと思う。私は与えられたものをとことん掘り下げることはできるけど、創作はできない。彼に任せっきり。私が今、こうして踊っていられるのも、彼と出会えたからです。

 演出・振付家は絶対だと思う。望まれることを体で表現できるアーティストでありたい。清水とは今も一日中、作品に向き合い、多くの人の心に夢や希望を届けられるよう、共に心を高めていく同志なんです。

(2016年1月30日朝刊掲載)

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