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旧日銀広島 装い50年代に 被爆建物 復旧時の色や質感

国重文目指し 市が工事計画

 広島市は2012年度から、被爆建物である中区袋町の旧日本銀行広島支店の国重要文化財指定に向け、被爆後に復旧工事を施した1950年代の姿に復元する取り組みを始める。3年がかりで調査し、15年度に復元工事の計画をまとめる。(藤村潤平)

 旧日銀広島支店は被爆後、50年代後半までに復旧工事を完了。その後も断続的に壁の塗り替えや床の張り替えなど修繕が行われた。

 調査では復旧当時の状態やデザインに復元できるかどうかを検討する。後で取り付けられた1階の天井板を取り外し、元の天井の状態を調べたり、壁の一部を削って当時の塗装の色や材料を確かめたりする。

 市は12年度一般会計当初予算案に調査費430万円を計上。14年度まで調査を続ける。15年度に工事計画を固め、復元に着手する。市文化財課は「当時の姿に復元すれば国重文に指定されるわけではないが、文化財的価値を高めて指定に近づけたい」と説明する。

 旧日銀広島支店は外壁が石張りの鉄筋3階地下1階で36年に完成した。ギリシャ風の装飾彫刻や渦巻き状の柱頭など古典様式が特徴で、昭和初期の広島を代表する建築物だ。

 爆心地から380メートルにあり、原爆で窓枠や欄干が吹き飛ばされ、内部が大破。職員たち20人が亡くなった。被爆2日後に業務再開し、92年まで支店として使われた。

 市は00年に市重文に指定し、日銀が土地・建物を無償貸与した。国重文になった場合は日銀が市に譲り渡す。市は芸術・文化の活動拠点として貸し出しており、08、09年度はスロープ新設や耐震補強など大規模改修をした。

広島市の被爆建物
 市が登録するのは爆心地から5キロ以内で88施設。国や広島市、独立行政法人など公共機関の所有が20施設、民間が68施設。爆心地500メートル以内で残る施設は、旧日銀広島支店▽原爆ドーム▽平和記念公園レストハウス▽広島アンデルセン▽本川小の一部▽袋町小の一部―の6施設。

(2012年2月20日朝刊掲載)

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