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社説・コラム

『言』 原発事故と科学 「安全神話」の復活を憂う

◆今中哲二・京都大原子炉実験所助教

 広島市出身で、原発のリスクを30年余りにわたり指摘してきた京都大原子炉実験所の今中哲二助教(65)が今月末、定年退職する。原子力政策に異を唱え、「熊取六人衆」と呼ばれたグループの最後の一人である。東京電力福島第1原発事故から5年の節目を前に再稼働を急ぐ国や電力会社への疑問、さらには科学者自身の在り方について聞いた。(聞き手は論説委員・東海右佐衛門直柄、写真・今田豊)

  ―原発事故から5年、現状をどう捉えていますか。
 事故は収束し、被災地の復興も進んでいるように多くの国民は思っているかもしれない。現実は全く違う。私は福島県飯舘村での放射能汚染調査に関わっています。以前は「日本で最も美しい」とされた田園が、今は見る影もない。フレコンバッグと呼ばれる黒い袋が田畑を無残に埋め尽くす異様な光景です。汚染の主因であるセシウム137の半減期が約30年であることを考えるとあと50年、100年先まで対応が必要なのです。

  ―全く安心できる状況ではない、ということですか。
 はい。まだメルトダウンして炉心から溶け落ちた燃料(燃料デブリ)がどこでどうなっているかさえ分かっていない。異常なことです。今後の工程について国や東京電力は「30~40年後までに何とかしたい」としている。これは何を意味するのか。サイエンスの世界で「30年先」というのは見通しが立たない、と同義。自分たちの世代では打つ手がない、という告白です。この深刻さがまだ社会に伝わっていません。

  ―今中さんは原発に警告を発してきましたが、社会で顧みられずに事故は起きました。
 私は最初、反原発派ではなかったのです。母が広島で原爆に遭い、私は2世。原子力は夢のエネルギーだと大学院生の頃まで思っていた。でも国は原発事故は起きないと言うのに、なぜ都会でなく田舎に造るのか、疑問に感じ始めました。そしてチェルノブイリ原発の事故が起きます。周辺の人々が家を奪われ、村や町ごと消滅する様子を調査し、がくぜんとしました。この問題を社会に広める責任があると研究を続けてきたけれど福島の事故を防げなかった。これが一番悔しい。

  ―チェルノブイリや福島などの核被害に通底するものは何だと思いますか。
 科学への過信かもしれません。科学とは、自然を観察してその成り立ちを研究すること。そこで得られた知見は現実の世界のほんの一部なのです。原発が暴走した時に制御する方法も、低レベル放射線のリスクもまだ分かっていない。それなのに、いま分かっていることだけを前提に国策を進めてしまいました。日本の原子力政策は「原発事故は起きない」という誤った前提で始まっています。だから津波の危険性が指摘されても、電力会社はその情報を握りつぶしたのです。

  ―原発の再稼働が広がりつつあります。科学者としてどう感じますか。
 福島の事故の前、国や電力会社の言うことにおもねり原発の「安全神話」を広めた科学者がいました。この点、科学界は深く反省するべきだと思います。いま心配なのは、事故を踏まえたとして新規制基準ができ、あたかも「原発は安全になった」と勘違いさせる風潮がまた起きていること。科学の力への「誤解」です。原発の技術はまだ確立されておらず、根本的なリスクがあります。原発を再稼働させることは、福島のような事故がまた起きる、ということを社会が覚悟することなのです。

  ―この5年で社会は変わることができたのでしょうか。
 脱原発の世論は盛り上がり、私たちの研究への注目も一気に高まりました。今も市民の関心はとても高い。けれど最近、少しずつ関心が薄らいでいるように感じています。そこに危機感を覚えます。私は今月で定年ですが、パートタイムで現在の職場に残るつもりです。福島の問題はまだまだ続きます。放射線被害の実情を伝え、たくさんの人が日本という国のありようを考えるきっかけになるよう、研究を続けたい。二度と事故を起こさないためには、脱原発しかないのです。

いまなか・てつじ
 広島市中区生まれ。大阪大工学部原子力工学科卒。東京工業大大学院理工学研究科修士課程修了。76年から京都大原子炉実験所(大阪府熊取町)に勤務。07年から現職。著書に「低線量放射線被曝」「サイレントウォー」。共著に「熊取六人衆の脱原発」など。

(2016年3月9日朝刊掲載)

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