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社説・コラム

社説 震災5年 日本のかたち 原点の誓い胸に刻もう

 きのう夜、再稼働から1カ月余りの原子炉が停止した。関西電力の高浜原発3号機である。大津地裁が、トラブルで停止したままの4号機とともに「発電の効率性を甚大な災禍と引き換えにはできない」として運転差し止めの仮処分を下した。

 再稼働の前提となった新規制基準を全否定したにも等しい。二転三転する司法判断への批判もあろうが、何事もなかったかのように原発の「安全神話」が再び横行しつつある日本という国への重い警鐘ともいえる。

行き詰まり直視

 東日本大震災と福島第1原発事故からきょうで5年になる。死者・行方不明者に、震災関連死を加えると2万1千人以上。全国の避難者数は17万人を上回り、5万7千人が仮設住宅で暮らす。孤独死も後を絶たない。

 しかし日本全体でみれば震災の風化は進んできた。それは原発事故も津波も同じことだ。

 今こそ思い起こしたい。同じ悲劇を繰り返さないという原点の誓いを。多くの人が胸に刻んだ「日本はこのままでいいか」「変わらなければ」との率直な思いを。それは戦後社会の行き詰まりを直視し、人と人との絆を基盤として国のかたちを問い直す決意でもあったはずだ。

 きのう安倍晋三首相は記者会見で「復興は一歩一歩、確実に前進している」と胸を張った。本当にそうか。本来あるべき復興の姿と、現実がずれていくさまをどう見ているのだろう。

 巨額の復興予算の多くはインフラ整備に充てた。防潮堤建設や高台移転先の造成に加え、復興後押しを理由に4車線化を打ち出した常磐道など高速道路の急ピッチな整備もその一環なのだろう。こうしたコンクリート偏重の手法が適切だったか。

 この震災で、確実に浮き彫りになったことがある。何より頼れるのは巨大構造物ではなく、地域や家族のつながりであることだ。それを重んじる視点が十分だったとは思えない。

復興は誰のため

 現に絆を取り戻すどころか、被災地の人口流出は雇用の受け皿がないこともあって深刻さを増す。三陸の主産業の水産加工業も震災以前に戻りきらない上に復興関連工事に吸い取られて人手不足と聞く。このままでは悪循環に歯止めはかかるまい。

 津波被災地は、もともと少子高齢化が顕著だった。震災を経た状況が日本の20年後、30年後を先取りするという視点は、研究者の間で共通している。5年の復興の営みはそれを食い止めるより、逆の方向へ時計の針を進めたのかもしれない。

 その中で、むしろ感じられたのは震災を都合よく利用しようという官民の思惑である。

 復興を前面に誘致した東京五輪が象徴的だ。宮城県の「水産特区」のように、規制緩和の実験的手法を被災地に持ち込む動きもあった。さらには防災を大義名分とした「国土強靱(きょうじん)化」路線によって、たがが外れたように公共事業の増発を当然視する空気がアベノミクスと一体になって全国に広がったことも見過ごせない。誰のための復興だったのか疑問も抱きたくなる。

 ここにきて違和感を覚えるのが「被災地を地方創生のモデルに」と急に言い始めた安倍政権の姿勢である。災害復興とは別の次元の地域振興を同列に論じていく意味がどこにあるのか。

 おそらく手を引きつつあるのだろう。政府主導の復興施策は福島を除いてあと5年とされ、復興庁も廃止される予定だ。本当に取り組むべきことが置き去りのまま「金の切れ目」に合わせて3・11をめぐる記憶が埋没していくことを強く危惧する。それは列島全体の災害への危機感低下にも直結するからだ。

「次」への備えを

 「戦後の繁栄そのものが、たまたま地震活動がない時期の平和を謳歌(おうか)したもの」。歴史学者として過去の地震を調査する磯田道史氏は指摘する。遠くない将来、瀬戸内海に津波が襲来しうる南海トラフ巨大地震も、住民の目線からの備えは遅れている。次の巨大災害とその復興―。将来にわたり日本が突き付けられる課題と向き合うために、震災の教訓を学び続けたい。

(2016年3月11日朝刊掲載)

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