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証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 藤本紀代子さん―火の海怖く 痛み感じず

藤本紀代子(ふじもと・きよこ)さん(75)=広島市東区

すがりつく女学生。脳裏に焼き付く

 原爆が落とされた時、藤本(旧姓山下)紀代子さん(75)は、母、祖母と広島市北榎町(現中区)から東観音町(現西区、爆心地から約1・1キロ)に引(ひ)っ越(こ)して1週間ほどでした。右往左往しながらやっと着いた天満川に漬(つ)かっていると、女学生にすがりつかれました。「この子を持って行かんといてえ」と必死に守ってくれた母。今も脳裏に焼き付いています。

 当時4歳8カ月。自宅の軒下(のきした)で、ままごとをしていました。一瞬(いっしゅん)、暗くなったと思ったら、急に周りが燃え始め、家がぺしゃんこになったのです。「きよちゃーん」。捜(さが)しに来た母の笹子さんにしがみつきました。

 「逃(に)げよう」と移動し始めましたが、右も左も燃えていて、どこに逃げていいか分かりません。つぶれた家から首だけ出し、顔に火が移って「助けてくれえ」と叫(さけ)ぶ男性。飛(と)び込(こ)んだ防火用水が煮(に)えたぎっていて「熱い熱い」と亡くなった男性もいました。

 母の頭には瓦(かわら)が当たって出血。たまたま見つけたお腰(こし)(下着)でしばりました。藤本さんも右足にけがをしていましたが、「町じゅう火の海。恐怖(きょうふ)で痛みを感じなかった」。

 たどり着いたのは、天満川に架(か)かる観船(みふね)橋のたもと。母に抱(だ)かれて雁木(がんぎ)(階段)を下りました。引き潮とともに「黒い固まり」が見えました。女学生たちでした。「お母ちゃーん」「天皇陛下万歳(ばんざい)」の声とともに累々(るいるい)と流れていきます。女学生に引っ張られたのは、この頃(ころ)でした。

 潮が引き、母と2人で川底の砂浜(すなはま)にへたり込みました。そこに、目玉が飛び出し、両手両足のむけた皮膚(ひふ)を引きずった女性がやってきました。皮膚に砂が付いてキラキラしています。藤本さんには「お化け」に見えました。「お化けが来るけえ逃げよう」

 その後、馬に乗った兵士から、集合場所になっている三滝(みたき)(現西区)へ行くように言われました。よたよたと歩いて行くと、そこでは、古市町(現安佐南区)の国民学校の講堂へ行くよう指示されました。やっとたどり着いて、カンパンを食べた記憶(きおく)があります。

 翌朝から、母に連れられて祖母を捜しに市中へ行きました。1週間~10日ほど通いましたが、見つかりません。ある時、自宅跡(あと)辺りに、ミカン箱を裏返した上に骨があるのを見つけました。「この辺じゃろうから、このお骨をおばあちゃんじゃと思うて供養しよう」と持って帰りました。

 戦後は、母の実家がある香川県の箕浦(みのうら)(現観音寺市)と、祖母の遠戚(えんせき)が住んでいた祇園(ぎおん)町山本(現広島市安佐南区)を行き来しながら過ごしました。5歳になった頃、ビルマ(現ミャンマー)に出兵していた父徳一郎さんが戻ってきました。しかし「あのおじちゃん怖(こわ)い」となかなか懐かなかったそうです。

 1960年に母から被爆者健康手帳を渡(わた)されました。「どうしてもろうてきたんね」と責めました。当時、被爆者はまともに出産できないから結婚(けっこん)できない、といわれていたからです。藤本さんも夫の一馬さん(77年に43歳で死去)と結婚する時、被爆者であることを言いませんでした。

 娘2人と孫3人に恵(めぐ)まれ、「今が一番幸せ」。ただ、今でも「手帳を持っとるけえ、ただで病院に行けてええね」と言われるなど被爆者への偏見(へんけん)を感じます。「遭(あ)いたくて遭ったんじゃないのに…」  戦争は人間のエゴが起こしている、と考えます。「戦争で得るものは何もない。一人一人が平和を求め、エゴのない社会になってほしい」と願います。(二井理江)

私たち10代の感想

差別ない平和な世界に

 藤本さんは、原爆に遭ったことをあまり人に話していません。差別を受けるからだそうです。差別されることはとてもつらいし、私だったら耐(た)えられないでしょう。うわさをうのみにせずに、ちゃんと知識を持ち、藤本さんのような思いをする人がいない平和な世の中になることを願っています。(中2斉藤幸歩)

4歳でも生々しい記憶

 家の下敷(したじ)きになって首だけ出ていた男性に火が燃え移る姿など、藤本さんは被爆直後の生々しい様子を詳(くわ)しく話していました。4歳だったにもかかわらず、とてもよく覚えていました。それほど被爆後の広島はひどかったのでしょう。このような光景を二度と繰り返さないためにも核兵器は廃絶(はいぜつ)しなくてはいけません。(高1中川碧)

戦争は人のエゴイズム

 藤本さんは、戦争は人のエゴイズムによって起こるから、エゴイズムのない社会にしてほしい、と言っていました。戦争は憎(にく)しみから生まれる、と考えていた僕には驚(おどろ)きでした。

 被爆者の思いはとても説得力があります。まずは、自分から譲(ゆず)り合(あ)いの精神を実行していきたいです。(高3中原維新)

(2016年5月2日朝刊掲載)

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