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社説・コラム

社説 憲法と基本的人権 その理念の実現が先だ

 「前文は堅苦しいけれど、人類が恐怖と欠乏から免れ平和に生存する権利をうたうなど、高潔な精神にあふれた散文詩ですよ」。昨年、本紙の取材に応じてくれた出版社、童話屋の編集者田中和雄さんの弁である。

 安保法反対デモのさなか、終戦直後に当時の文部省が出した中学の教科書「あたらしい憲法のはなし」などを参加者に配り歩いた。興味深そうに受け取る若者たちも、どうやら憲法を読んだことはないとみえる。だが「読んでみます」という素直な反応はうれしかったという。

 憲法前文とは何だろう。その背後には、人類が歴史に学んで磨いてきた一つの価値観が集約されていると考えたい。それを安易に打ち捨てていいのかどうか。改憲か護憲か、あるいは「加憲」か、憲法論争がかつてなく現実味を帯びている今だからこそ問われているはずだ。

 「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」とは前文の一節である。「これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」と続く。

 日本国憲法とは人類の歴史の中でたどった一つの到達点である―と政治学者の進藤栄一さんは評価する。近代日本の立憲主義の伝統を踏まえて成り立ち、人は生まれながらにして自由、平等の権利を享受するというフランス革命以来の天賦人権論に連なる到達点だというのだ。

 前文には田中さんが例に挙げた、平和的生存権の一節もある。冷戦が終結してもテロや紛争がやまない現代世界では、一層意味を持つのだろう。

 ところが、自民党が2012年にまとめた憲法改正草案の前文には「人類普遍の原理」といったくだりはない。天賦人権論に基づく規定を実質的に見直した上、「日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する」と締めくくる。

 つまり目的は人権や平和ではなく、国家の継承に重きが置かれているのである。文字通り、改正というより制定なのだ。

 さらに現憲法では、すべて国民は個人として尊重される―とあるが、改正草案では個人が「人」に置き換わっている。改正草案は、自立した個人には否定的であると見なすことができよう。国民の自由や権利の行使に「公益や公の秩序」という制約を課したのも見逃せない。

 ただ、改正草案は自民党が野党時代に作成したため、党内でも、保守的に過ぎるという批判がある。これでは改憲への国民のアレルギーが薄まらない、という判断があるに違いない。

 私たちも憲法論争は必要だと考える。だが「保育園落ちた」のブログが国会論戦にまで及ぶように、この国の社会保障、雇用や教育の先行きは暗たんたるもので、憲法が保障した基本的人権の実現は道半ばである。

 共同通信社の4月末の世論調査では、安倍政権下での改憲に反対する人が56・5%に上った。アベノミクスにより貧富の格差が「広がっていると思う」と答えた人も57%を占めた。

 国民生活を安定させることを優先させるなら、改憲を急ぐべきではない。現行憲法の理念を具体化する道を選ぶべきだ。

(2016年5月4日朝刊掲載)

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