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連載・特集

[Peaceあすへのバトン] ウェブデザイナー・久保田涼子さん 「継承の場」若者に提供

 広島出身なのに、原爆については「知っているつもり」でしかなかった。3年前、「父と暮せば」の朗読劇で広島弁の指導を頼まれた時、そう思いました。出演する2人は愛知、福岡出身。それでもヒロシマを伝えようとしている。祖母が被爆した自分こそ「何かしなきゃ」―。被爆70年に向けて、動きだしたきっかけでした。

 昨夏初めて開いた「第三世代が考える ヒロシマ『 』継ぐ展」は、来場者自らが何を継ぐか考えます。場所は東京のカフェ。原爆の解説パネルのほか、被爆者たちと車座になって対話するコーナー、被爆建物をはじめ今の広島を私たちが撮影した写真展などを設けました。

 原爆ドームや被爆電車の消しゴムはんこを押しながら、質問の答えを探す自由研究の素材も用意。親子で気軽に学べる場は都内には少なく、お母さんたちに喜ばれました。初めて被爆証言を聴いた男の子が家に帰り、「お母さん、生きててくれてありがとう」と話したそうです。命の大切さを分かってくれたと感じました。

 会場に、自分のヒロシマ学習の軌跡を詰め込みました。「父と暮せば」のように、悲惨さだけではなく、原爆が落とされた後の広島で人々がどうやって生きたかを知るのも大切です。過去を知り未来につなげるよう工夫しました。ことしも8月3~8日、横浜市のみなとみらいギャラリーで継ぐ展を開きます。

 「継承」とは自分も経験しないとできません。見たり聴いたりして、71年前、いきなり訳の分からないことに巻き込まれ、自分や家族を失った出来事を想像してみるのです。ある被爆証言の取材で驚いたことがあります。被爆者に聴きに行くと、「はい、これでしょ」と体験記を手渡されたのです。

 人間味のある話を聴きたかったのですが、原爆被害の全体像を押さえ、完成した「証言」が準備されていました。聴く側と、話す側との間で長年かかって生まれた一つの形でしょう。否定はできませんが、それで伝わるのか…。私は、若い人が継承できるきっかけをつくりたいと思います。

 自分にしかできないことも考えました。タブレットを使って平和のメッセージを書き、画面をなぞると同時に灯籠の画像にのせ、仮想の川に流すデジタルのコンテンツです。8月6日は広島市中区の元安川近くの平和記念公園内にブースを設け、インターネットで横浜と結びます。

 被爆3世は何も知らないからこそ、いろんなアプローチができます。継承するため、自分たちが頑張らないと。(文・山本祐司、写真・山崎亮)

くぼた・りょうこ
 広島市西区出身。中学、高校は倉敷市へ新幹線通学。東京女子大卒業後、ウェブデザイナーを目指し渋谷の学校で学ぶ。2010年、会社を辞め、歩き遍路の旅に。11年からフリーで活動。東京都在住。

(2016年6月14日朝刊掲載)

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