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[広島県北歴史散歩] 国安牧場(安芸高田市八千代町) 特攻機基地 極秘に建設

 陰陽を結ぶ国道54号。この大動脈の一部を含む安芸高田市八千代町下根と佐々井にまたがる地域は、かつて「国安(くにやす)牧場」と呼ばれた。太平洋戦争末期の1945年6月、旧帝国海軍は航空隊可部基地の建設を始めた。本土決戦に備えた航空隊の特攻基地である。全国各地で進められた極秘指令計画の一つだった。

■住民ら総動員

 6月下旬に第1期工事が始まり、7月10日の完成を目標に突貫工事で全長600メートル、幅40メートルの滑走路に誘導路、格納庫を備えた飛行場を建設。第2期はさらに全長を600メートル延伸する計画だった。

 八千代町史によると、建設には海軍関係者に加えて、三次や庄原市の学徒隊、住民たち延べ約15万人が動員された。炎天下、寺や学校、民家に泊まり込んで作業し、「気候不順で田植最中で繁忙を極めていたが戦争完遂のためとあって殺気だった状況であった」と記してある。

 当時17歳だった浮田郁省(いくみ)さん(88)=八千代町佐々井=は海軍のパイロットを養成する「予科練」に合格し、入隊待ちだった。自宅近くの山の斜面に特攻機を隠す格納庫を造る作業を担当。自宅に10人の作業者が寝泊まりした。

 家族や地域住民総出で朝から夕方まで、くわを持ち穴を掘った。20近くの格納庫を造り、特攻機の胴体を木の葉で覆い隠した。

 立ち退きを余儀なくされた住民もいた。トロッコで周辺の山から土を運んで造成するなど、飛行場建設は急ピッチで進んだ。「牧場」に見立てるため、特攻機が離着陸しない箇所には周辺の山から刈り取った木の葉を敷き詰めた。

 「『ブーン』と飛行機の音が聞こえると、走って飛行場前まで見に行きました」。近くの根野国民学校の6年だった住職細川宏見さん(82)=八千代町上根=は「初めて見る、飛行場に降り立つ飛行機がかっこよく見えた」という。物資不足のためか「胴体は布張りで、金属でないことに驚いた」と振り返る。

■工事中に終戦

 ここが特攻基地に選ばれた理由を「山の中だが滑走路に最適な直線の道路があり、広島に近かったからかな」と細川さんは想像してみせる。

 八千代町史には「八月十五日にもまだ工事は行われており、ほとんど完成に近かった」とある。8月14日に「出動命令」が下ったが、燃料を満タンにして待機中だった特攻機が国安牧場から飛び立つことはなかった。今、その痕跡は残っていない。(山成耕太)

(2016年6月26日朝刊掲載)

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