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連載・特集

人文学の挑戦 言葉に託す 対話・つながり 育む力

 じっくり考え、誠意を込めた言葉は、地域や世代を超えて響き合う。インターネットなどで広くつながる時代だからこそ、言葉が放つ影響力はひときわ増している。発する人も、受け取る人も、立場や肩書はさまざま。そうした身近な言葉の営みにも、人文学の原点が見いだせるのではないだろうか。(林淳一郎)

 「せんそうは はじめるのは かんたんだけど おわるのは むずかしい」「わたしの こころは わたしのもの だれかに あやつられたくない」「わたしの いのちは わたしのもの だれかの どうぐに なりたくない」…。

「こども語訳」反響

 柔らかな言葉に強い意志が宿る。全530字の平仮名で紡がれ、タイトルは「わたしの『やめて』」。安全保障関連法案を巡る論議が熱を帯びた昨年7月、京都大の教員や学生でつくる「自由と平和のための京大有志の会」がホームページ(HP)で発信した声明書に、間もなく追記された「こども語訳」だ。

 訳したのは、広島市東区出身で大手予備校の地理講師、山岡信幸さん(52)=埼玉県入間市。インターネット上で共感を呼び、昨年9月には東京の絵本作家によって絵本化もされた。香川県のろう学校の生徒が巨大な紙に書き出して文化祭で展示するなど、反響が広がる。

 偶然、有志の会のHPで声明書を見たという山岡さん。「紋切り型の言葉ではなく、詩のような響きに心が揺さぶられた。自分の幼い子どもたちにも受け止めてほしくて、平仮名での訳を思い立ったんです」

 当時、長男は小学2年生。長女は幼稚園の年長、次女は3歳だった。声明書の「精神は、操作の対象物ではない」「生命は、誰かの持ち駒ではない」などの言葉を意訳し、冒頭に「くにと くにの けんかを せんそうと いいます」の一文を付け加えて有志の会のHPに書き込んだ。

 「感性あふれる表現に正直、くやしいなと思いました」。声明書の草稿を書いた京都大人文科学研究所の藤原辰史准教授(39)は振り返る。「でも、山岡さんは声明書の言葉を解きほぐし、深みと広がりを持たせてくれた。考え抜かれた言葉には、対話やつながりを育む力があるとあらためて感じた」

2400件超す賛同の声

 農業や食の歴史を研究する藤原さんは、小中高時代を出雲市や島根県奥出雲町で過ごした。広島の原爆資料館も訪れ、戦争のむごさを痛感したという。自由と平和が揺らぎかねない世情を危ぶみ、同僚と結成したのが有志の会だった。

 それから1年。声明書に寄せられた賛同の声は2400件を超す。賛同のトーンは人それぞれで、もちろん反論も届くが、「完璧な主張などがないからこそ、言葉を交わして補い合い、自分が知らないことや違う世界に気付いていく」。人文学の原点に通じるものを、そこに感じるという。

 山岡さんが「こども語訳」という形で声明書に反応したのも、「安保法制にとどまらない、さまざまな課題をくみ上げる吸引力を感じた」からだ。特に念頭にあったのは、原発政策を巡る社会の「空気」。被爆2世でもある山岡さんは、福島第1原発事故後、子どもたちの食などを守る市民活動に携わってきた。

 しかし、周囲を気にして押し黙る人は少なくない。「勇気が要るけど、ものの言いにくい雰囲気を破っていくには結局、一人一人の言葉が力になる」。そのきっかけになればとの思いを込めながら、「翻訳」に挑んだという。

 「子どもたちもいろんな壁に直面していく。戦争や平和といった大きな問題だけではなく、人間関係に悩んだり、勉強に行き詰まったり。気持ちを押し殺さず、諦めずに自分の言葉を発してほしい」。訳文中の「わたし」に、そんな願いを託す。

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インタビュー

広島大大学院教育学研究科 難波博孝教授

表現力磨く国語教育を

 言葉の表現力は日々の暮らしの中で培われていく。広島大大学院教育学研究科の難波博孝教授が重視するのは、子どもたちへの国語教育だ。通信ツールが発達した現代社会は、言葉を磨く機会にあふれていると指摘する。

  ―言葉の教育に携わりながら、何を感じますか。
 現代の子どもたちは、大人よりもはるかに言葉に敏感ということだ。日常的にLINE(ライン)やツイッターを使いこなし、文字に接している。自分の発言を相手がどう感じるか、その点もしっかり考えている子は多い。

 とりわけラインは短文でつづる。短い言葉に自身の思いを込めるのは、とても日本的。古典の短歌や俳句と似ている。実際、高校の授業で和歌や俳句をラインなどに置き換えて説明すると、生徒がよく理解してくれるという話も聞く。

  ―ライン依存症など、危うさもありそうです。
 確かに、ラインは言葉のやりとりが早く、過剰に気にしすぎてしまうマイナス面がある。「外し」(仲間外れ)などの問題も起きている。とはいえ、大人たちが思い込みで規制するのはどうか。悪い面はなくしていく教育をすればいい。リテラシー(活用する能力)を身に付ける中で言葉は間違いなく磨かれる。

 しかも、最近の子どもたちは、本をたくさん読んでいる。全国学校図書館協議会などの調査によると、1カ月の平均読書冊数(2015年)は小学生が11・2冊、中学生は4冊だ。学校教育に読書を取り入れだした00年ごろを境に倍増している。

  ―国語の授業も変化しているのでしょうか。
 教材といえば教科書、という授業ではなくなっている。例えば、小学生が新美南吉の児童文学「ごんぎつね」を学ぶ場合、新美の他の作品など、関連する本もそろえて読む。その上で先生が子どもたちに質問し、グループでも考えさせる。もちろん答えは一つではない。そうしたプロセスの中で思考が深まり、言葉の表現も豊かになる。

  ―教師をはじめ、大人の役割が大きいですね。
 子どもたちは読書を通して豊富な知識を得ているし、思いや考えも抱いている。それを引き出し、関連付け、プラスアルファしていくのが大人の役目。ところが、中高年の男性を中心に、言葉への鈍感さが目立つ。

 若い世代の「政治への無関心」がいわれるが、そもそも大人の側がどれだけ言葉を吟味しているか。伝え方や誠実さにも問題があるのではないか。政治家やマスコミが発信する言葉も、大切な「教材」だ。子どもたちも見聞きするのだから。その認識をまず持つべきだろう。

なんば・ひろたか
 1958年兵庫県生まれ。京都大と同大大学院で言語学を学び、神戸大大学院で国語教育を専攻。中学、高校の国語教諭などを経て、2000年に広島大教育学部助教授。06年から現職。専門は臨床国語教育学。

(2016年7月16日朝刊掲載)

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