×

社説・コラム

『私の学び』 リンガヒロシマ代表・中村朋子さん

研究 こつこつ足運んで

 広島、長崎に落とされた原爆について、日本語や英語、スペイン語、韓国・朝鮮語などさまざまな言語で出版された本を研究、紹介し続けて30年余り。これまで調べた本は71言語約2千冊に上る。

 実は、意識して研究の道に入ったのではない。米国の平和活動家バーバラ・レイノルズさんが「ヒロシマ・ナガサキ記念文庫」を創設した米オハイオ州ウイルミントン大に対し、1980年ごろ広島市が毎年、原爆に関する本を寄贈していた。その際、日本語と英語で本の要約を付ける作業を2年間した。大学時代に入っていた文芸部の活動を通して知っていた、原爆詩人の栗原貞子さんの紹介だった。

 これら44冊分が83年に英語の教師向け月刊誌に載ったのを機に、物理学者で平和活動をしていた庄野直美さんから著書を英訳してほしいと頼まれたり、「平和のためのヒロシマ通訳者グループ」が出した「和英ヒロシマ事典」改訂版(95年)に、日英で出版されている183冊を紹介したりした。2003年には446冊をまとめた「英語で読む広島・長崎文献」を出した。

 「研究ってこんなふうにするんだな」と知ったきっかけが二つある。一つは、大学を卒業して広島女子大(広島市南区、現県立広島大広島キャンパス)にあった「室町時代語辞典編集室」に1年間勤めたとき。単語カードに書かれた単語の出典元を確認する作業。何万枚ものカードを前に、気が遠くなるようだったが、こつこつとこなした。

 もう一つが、子育て中の30代。「家庭にいるまま人生が終わっちゃ大変だ」と考え、大学の恩師に紹介されて「広島婦人問題研究会」に参加するようになった。会の代表だった今中保子さんは、女性史の研究をするのに、あちこち足を運んで資料を探していた。事実をたくさん集めた上で議論する。実証的に研究する姿勢を学んだ。

 14年3月に退職してから、英語だけでなく多言語に広げるなど思う存分できるようになり、今が最高。うずもれている本を見つけるのは、本当に楽しい。

 今、2千冊を検索できるようウェブサイトに少しずつアップしている。世界中の人に読んでもらいたい。(聞き手は二井理江)

なかむら・ともこ
 呉市出身。1969年広島女学院大卒業。99年広島大大学院教育学研究科博士課程後期入学。2002年3月修了と同時に博士号(教育学)取得。同年4月から広島国際大助教授、06年4月同大教授。

(2016年9月26日朝刊掲載)

年別アーカイブ