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連載・特集

グレーゾーン 低線量被曝の影響 第7部明日に向けて <1> フクシマの被災者㊤ 

「20ミリ」の線引き 募る不信

 東京電力福島第1原発事故に伴い、20キロ圏内や、その圏外でも放射性物質を大量に含んだプルーム(放射性雲)の通ったエリアを中心に避難指示区域が福島県内に設定された。年月の経過や除染により空間の放射線量が下がったとして、政府は避難指示の解除を進めるとともに、県内外に避難した住民の帰還を促している。線引きの目安は、自然放射線以外の「被曝(ひばく)線量が年間20ミリシーベルト以下」。健康への影響を巡り、不安を抱く住民も少なくない。

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 核という「パンドラの箱」を開けてしまった人類。連載締めくくりの第7部は、明日への糸口を追う。(金崎由美、馬場洋太)

「空間の線量だけ測っても駄目。汚染は本当にまだら」

国の帰還方針にあらがう

 福島第1原発の北に位置する人口約7万人の福島県南相馬市。原発事故の後、原則立ち入り禁止の帰還困難区域から避難指示のない区域まで、多い時は五つに分かれた。解除が推し進められ、現在は帰還困難区域だけが残る。

 「地表1メートルの高さで線量を測って『大丈夫だ』って。政府の役人は、立ったまま息も吸わずに草を刈るのか」。市西部の山あいにある高倉地区で、マスクを着け自宅前の草刈りをしていた嶌影勘(しまかげ・しのぶ)さん(75)が不信感を口にした。市内で線量が低い地区の仮設住宅に妻と住み、昼間は家の手入れに通う。

   自宅は、避難指示は出ていないものの局所的に線量が高いとして、世帯ごとの「点」で指定する「特定避難勧奨地点」になった。一方、裏手にある川を挟んだ所有地は、居住制限区域だ。わずか数メートルの川幅で、区域の線引きがされた。

 国の原子力災害現地対策本部は2014年12月、被曝線量が「年20ミリシーベルトを下回る」として特定避難勧奨地点の指定を解除。東京電力も対象世帯に支払う月10万円の「精神的賠償」を打ち切った。今年7月、嶌影さんの土地がある居住制限区域も解除になった。

 福島県内の他の避難指示区域も来年3月末、帰還困難区域を除いて全面解除される。自主避難者の住宅支援も原則、段階的に打ち切られる。

 「日本の他地域では『1ミリシーベルト以下』と決まっているのに、福島の人間だけ別なのか」。怒りをにじませ、嶌影さんは自宅脇にある水槽を指さした。40年前から趣味でモリアオガエルを育てている。「色が抜けたり足が欠けたりしたオタマジャクシが急に増えた。カエルになれずに死ぬことも多い。特に13年はひどかった。事故前はあり得なかった。本当なんだ」

 身近な山の恵みにも、もどかしさを覚える。食品基準値は100ベクレル(1キロ当たり)だが、タラの芽は昨年は最高1400ベクレル(同)。今年は1900ベクレル(同)と数値が上がった。「検査しても投げる(捨てる)しかないべ」。1メートル離れた木だと、芽の線量はぐんと低かったりする。測定しないと分からないのが厄介だ。

 「空間の線量だけ、しかも除染した玄関先を測っても駄目。汚染は本当にまだら。お地蔵さんじゃあるまいし、人間は歩き回る。石の上にも座り込む」。嶌影さん宅を訪れた知り合いの小沢洋一さん(60)が庭石の表面汚染を測定し始めた。

 「1平方センチメートル当たりのベクレルに換算すると、放射線管理区域とされる4ベクレルの7倍―。『放射線マーク』が貼ってあるべき場所に住め、というのが国の方針。特に子どもがいる世帯の帰還が進まないのは当然だ」と憤る。続いて、隣にある石を測ると、線量は大きく下がった。まだら、という言葉に実感が伴う。

 小沢さんは、特定避難勧奨地点の指定解除を取り消すよう国に求める「20ミリ撤回訴訟」を東京地裁に起こしており、原告団の事務局長として嶌影さんら計206世帯を束ねる。指定世帯と隣り合わせなのに同地点に入らなかった世帯も、指定拡大を求めて加わった。

 避難者に一律の帰還を迫る大波にあらがうのは、簡単でない。それでも提訴して闘うのは「孫子の代に対する責任があるから」という。「国のデータは放射能汚染の実態を過小評価している。異議を唱え、裁判ではっきりさせておかないと将来世代に健康影響が出た時、不利になる」。あらゆる場所で土壌を採取し、測定データを蓄積させている。

放射線に弱い人を考えるべき/内部被曝を懸念

大阪大の本行忠志教授(放射線生物学)に聞く

 政府が避難指示解除を進める背景に、「100ミリシーベルト以下の被曝による病気のリスクは、喫煙など他の要因に隠れるほど小さい」との判断がある。見逃されている視点はないだろうか。低線量の内部被曝について研究する大阪大大学院医学系研究科の本行忠志教授(放射線生物学)に聞いた。

  ―「年20ミリシーベルト」という数値をどう見ますか。
 放射線に対する感受性は個人差が非常に大きい。誰が放射線に強い体質で、誰が弱いかは見分けられない以上、まずは被曝を極力避けるに越したことはない。チェルノブイリ原発事故の被災地では年5ミリシーベルト以上なら移住の対象になるが、当然その方が安全だ。「弱い人」がいることを前提に物事を考えるべきだ。

  ―個人差はそんなに大きいのですか。
 放射線に弱い遺伝子を持つ人は、人口の数%はいるという報告がある。「弱さ」も一様でない。お酒のにおいだけで具合が悪くなる人もいれば、1杯は飲める人、酒に強い人がいるのと似ている。年齢や体質でも差が出る。

 体内に入った放射性物質が、代謝や排せつで半分の量になるまでの時間「生物学的半減期」は、100倍ぐらい個人差がある。内部被曝量を探るマウス実験では、被曝時の胃の調子や、胃にあった内容物により、ばらつきが大きかった。

  ―それはどんな実験なのですか。
 多様な条件下で放射性ヨウ素を飲ませ、甲状腺への取り込み方がどう変わるかを見ている。先に牛乳を飲ませたマウスは、放射性ヨウ素をより多く取り込んだ。一方、先に安定ヨウ素剤を飲ませれば、吸収を約9割減らせた。30倍に薄めたヨードのうがい薬や昆布でも引けを取らないぐらいの効果が確認できた。

  ―いざというときの参考にすべきですね。
 原発事故は決して起こってはならない。同時に、万が一の際には、5年半前の失敗を繰り返さないための備えも必要だ。

 放射線災害が起これば、甲状腺の被曝量を測り、一定以上被曝した人には安定ヨウ素剤を飲ませなければならない。一刻を争う。だが、現行の政府指針では、事故の際に安定ヨウ素剤が十分に行き渡りそうにない。原発事故の避難訓練に甲状腺検査は入っていない。過去の教訓をどれだけ重く受け止めているのか、疑問を持っている。

  ―福島での被曝線量は多くても年数ミリシーベルトで、内部被曝もホールボディーカウンター(WBC)の測定値によると、ごくわずかだと言われています。
 それをもって内部被曝はないとはいえない。個別の臓器や組織に沈着した放射性物質の量を測定するのは難しい。「シーベルト」は実測値ではなく、「ベクレル」に決められた係数を掛け合わせて算出したもの。セシウムやストロンチウムなどが持つ化学的な性質の違いも反映されていない。

 また、WBCはガンマ線しか測れない。ベータ線を出すストロンチウムがあっても検出されない。

  ―避難指示解除の判断の基である放射線防護基準は、放射線影響研究所(広島市南区)の被爆者データが土台となっています。
 原爆被爆者の調査は内部被曝の影響を考慮していない。放射線に弱く、被爆5年以内に亡くなった人たちは調査の対象外だ。福島には当てはまらない部分も多い。むしろチェルノブイリ原発事故のデータや経験からもっと教訓を得ようとすべきだ。

  ―低線量被曝の影響は、「たばこの害の方がはるかに大きい」と言われるぐらいですから、実感するのが難しくもあります。
 ごく低線量被曝でがんになるリスクは、喫煙などによるリスクに紛れて統計的な数字としては出にくいのも確か。しかし、だからといって安全、大丈夫、という意味では全くない。そう理解してはならない。喫煙と低線量被曝は両方とも避けるべきリスクだ。

20ミリシーベルトの意味
 政府が避難指示解除の目安とする「年20ミリシーベルト以下」は、放射線や疫学の専門家らでつくる国際放射線防護委員会(ICRP)が「勧告」として発表する数値基準や考え方に基づく。一般公衆(市民)の年間の線量限度を、平時は1ミリシーベルト以下に抑えるとする。ただ原発事故などの緊急時は20~100ミリシーベルト、事故後の復旧期は20ミリシーベルト以下、との目安も示す。長期的には1ミリシーベルトを目標だとする。日本を含む各国は、ICRPの勧告を参考に、原発労働者や医療従事者、一般公衆を対象にした被曝線量に関する防護基準を定めている。

(2016年11月3日朝刊掲載)

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