×

ニュース

広島女学院中高時代 復興期の街を描いた 生徒20点 英から返却

私の水彩 60年ぶり再会

 1950年代に広島女学院中高(広島市中区)の生徒が描き、英国に贈られていた水彩画20点が同校に戻ってきた。同校は9日、制作者と分かった卒業生2人に返却した。(奥田美奈子)

 54年完成の世界平和記念聖堂(中区)を描いたのは東区の臨床心理士倉永恭子さん(77)。元美術教諭で被爆者の嘉屋重順子さん(77)=西区=は、住居が並ぶ相生橋(中区)周辺を題材にした。2人は同級生で、高校2年の美術の宿題として制作した。

 「コンクリート製のすてきな建物に新しさを感じた」と被爆後の復興期に思いをはせる倉永さん。嘉屋重さんはバラックの立ち並ぶ通りに引き付けられ、スケッチに通ったという。

 同校によると、絵を保管していたのは英マンチェスター市の元美術教諭男性。終戦時に女学院長だった松本卓夫さん(故人)が文化交流の一環で英国の教育関係者に贈ったとみられる。

 画用紙には劣化防止の加工が施され、原爆ドーム(中区)や寺、生け花を描いた生徒たちの筆遣いが鮮明に残る。

 被爆70年の昨夏、元美術教諭男性がロンドンで展示会を開き、日英交流団体や広島市などを通じて同校に返却を打診。絵は7月に戻ってきた。

 この日、湊晶子院長から絵を受け取った嘉屋重さんは「美術か福祉か、と進路に迷った当時がよみがえる」と喜んだ。倉永さんは「拙い子どもの絵が60年も大切にされていた。被爆地に向けられた温かさを感じられ、尊い」と話していた。

 同校は残る18点について、絵の裏にある名前を手掛かりに制作者を捜す一方、平和学習に役立てる。

(2016年11月10日朝刊掲載)

年別アーカイブ