被爆証言

『記憶を受け継ぐ』 加藤久男さん―助ける余裕なく心残り

戦後、教員に。真実見抜く生徒育てる

加藤久男(かとう・ひさお)さん(87)=広島市安芸区

 37年間の教員生活で心掛けていたのは、周囲に惑(まど)わされず自分で真実を見抜(ぬ)く力を持つ生徒を育てることでした。修道中4年、16歳の時に被爆した加藤久男さん(87)。当時は、「東洋を平和にするため」と信じ国家のために役立とうと懸命(けんめい)でした。戦争を再び繰り返さないよう、歴史を客観的に見る大切さを指摘(してき)します。

 1944年7月から、広島市江波町(現中区)の三菱重工業広島造船所に動員されました。貨物船の外壁(がいへき)に使う鉄板に穴を開ける作業を担当。夏は鉄板が焼けて暑く、冬は海風にさらされてかじかんでも「日本が勝たんにゃいけん」と必死に体を動かしました。

 45年8月6日の朝は、敷地内の木造校舎(爆心地から約4・2キロ)で授業開始を待っていました。その頃、作業は鉄材不足で中断していたのです。突然、赤と黄色の混ざった光に体が包まれ、右頬に温かさを感じました。とっさに左へ逃(に)げて伏(ふ)せました。

 数秒間光った後、爆風が頭上を吹(ふ)き抜けました。校舎の天井が抜け、窓ガラスは木(こ)っ端(ぱ)みじんに。ガラス片で切れたのか右腕から血が出ていましたが、そのまま防空壕(ごう)に逃げ込みました。

 しばらくして外に出ると、辺りは薄(うす)暗く、黄土(おうど)色に変わった市街地が広がっています。竜(りゅう)のように巨大で灰色の雲が渦(うず)巻いて上っていました。「ただただ驚(おどろ)き、何が起きたのか分からなかった」

 午後2時ごろ、友人2人と自転車で帰宅し始めました。本川沿いに進みましたが、住吉橋の近くで工場から燃え上がる火に行く手を阻(はば)まれました。引き返して電車通りに回って北上、住吉橋のたもとに着きましたが、今度はタイヤがパンク。友人に置いて行かれ、不安が募(つの)りました。

 被爆者であふれる橋を、自転車を押して渡(わた)ろうとした時です。「診療(しんりょう)所に連れてって」。そう求める女性を見ると、髪(かみ)がちりちりに焦(こ)げ、顔は真っ黒。怖(こわ)くて立ち去ったことが今も心残りです。「人間として寂(さび)しいが、自分も生きられるか分からず、助ける余裕(よゆう)はなかった」。早く帰りたい一心で中野村(現安芸区)の自宅まで歩きました。

 広島女学院高等女学校(現広島女学院中)2年の妹は、雑魚場町(現中区)で建物疎開(そかい)作業中に被爆。家に帰って吐(は)き、髪も抜けて高熱を出し続けましたが、その後、何とか回復しました。県庁に勤めていた18歳の姉は、建物疎開作業の応援(おうえん)で元安橋の近くにいたそうですが、今も見つかっていません。

 9月に再開した学校では、戦時中の教育が続いていました。しかし、朝礼で皇居のある東に向かって敬礼する際、ある日本史の教員だけが礼をせず直立していました。「おかしな先生だな」。そう感じましたが、実は教育者として考え抜いた行動だと、徐々(じょじょ)に気付いていきました。

 卒業して広島労働基準局に就職しましたが、あの先生のようになりたいという気持ちがあり、夜間高校4年に編入。その後、広島大の教育学部で学び、卒業した53年から、広島県安芸郡や広島市内の中学校で社会科の教員を務めました。

 歴史の授業では、年表に沿って、時の権力者の行動だけではなく、民衆がどう思ったかも考えながら学ぶように教えました。90年に退職した後は、平和記念公園(中区)などで被爆体験を話し、人の命の尊さを伝えました。

 「戦時中の自分たちは国家や権力者にだまされていた。何が正しく、間違いか分かる人を育てないといけない」。「神風が吹く」とすり込まれた少年時代の反省を込(こ)め、教育が本来果たすべき役割を強調します。(山本祐司)

私たち10代の感想

命の選択迫る戦争は嫌

 人から助けを求められた時、自分ならどうするか考えました。平和な時であれば、助けるか誰(だれ)かに手伝いを求めます。しかし自分が生きる確証のない危険な状況(じょうきょう)なら、謝って立ち去るかもしれません。しかしその後、きっと悩(なや)みます。自分も人の命も大切にしたいからです。どちらか選択(せんたく)を迫(せま)る戦争は本当に嫌です。(中2伊藤淳仁)

自由と責任の重み胸に

 加藤さんは戦時中も原爆が投下された直後も、日本が戦争に負けるとは思っていませんでした。戦争は人々の考えや生活から自由を奪(うば)い、国が勝つことを最優先にしました。未来ある若者が軍国主義一色に染められ、犠牲(ぎせい)になった事実を15歳の自分も忘れてはいけません。自由と責任の重みを胸に刻みます。(高1岩田央)

批判的視点持つ習慣を

 「何が真実か分かる人になってほしい」。そう思って子どもたちを教えてきた加藤さんの言葉を聞き、私も心のどこかに批判的な視点を持つ大切さを感じました。学校や家庭で言われたことをうのみにするのではなく、本を読んだり友達に聞いたりして、もう1回自分でかみ砕(くだ)いて考える習慣を付けたいです。(高1松崎成穂)

(2016年12月5日朝刊掲載)
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