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連載・特集

緑地帯 平和を願う聖堂 青葉憲明 <5>

 世界平和記念聖堂の建設を発願したフーゴ・ラサール神父は、イエズス会の総会があったローマでも支援を仰いだ。そして1947年、ブラジルや米国を経由した帰国の船上で、1人の日本人に出会う。その人を通じ、ブラジルで日本人移民の世話をしていた上塚司さんの知遇を得た。

 上塚さんは高松宮さまとも一緒に活動して親しく、宮さまのご協力をいただくことができた。衆院議員でもあった上塚さんは、後に首相となる池田勇人さんも紹介した。池田さんは聖堂建設後援会の会長を引き受け、実業界など各界の人々を集めてくれた。

 後援会の役員名簿には政財界の有力者の名前が多くある。広島市長の浜井信三さんもその一人だ。浜井さんは、市長という立場でありながら聖堂建設を陰ながら支援してくれたと、ラサール神父が追想録に思いを書いている。

 「この聖堂建設を進めることは、本当に容易なことではなかった。濱井さんは私に援助の手をよく差しのべ、あらゆる困難を克服して、これを完成に導いた有力な助力者の一人であった」。さらには「私たち二人は、この平和記念聖堂を通じて精神的に近づきました。私は濱井氏が宗教人即(すなわ)ち信仰心を持っている人であるという確信をそのとき感じた」と続く。

 聖堂建設には市民の協力も欠かせなかった。当時の募金申込書には、原爆や戦争で亡くなった身内や友人の名が「慰霊のために」と挙げられ、その数4千人余りに上った。街の人々の平和への願いが、聖堂を完成へ導いた。(世界平和記念聖堂保存活用委員=広島市)

(2017年1月13日朝刊掲載)

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