連載・特集

核なき世界への鍵 マーシャルの訴え <2> 忘れられた被曝

「死の灰」 今も健康不安

 米国はマーシャル諸島のエニウェトク環礁を核実験場とした1947年、住民を南西約200キロのウジェラン環礁に移住させた。そのウジェランに、核爆発による放射性降下物を含む「死の灰」が降った日がある。「海が一面、小麦粉のような白い粉で覆われた」。今はエニウェトク環礁に戻り、エニウェトク島で暮らすトッコ・ピーターさん(75)は、60年以上前の記憶をたどった。

 「あの日」、住民たちは米軍の艦船でウジェランから沖合へと連れ出された。理由の説明はなかったが、「空全体が真っ赤に染まった」「静かだった海がごう音とともに揺れた」と複数の住民は語る。トッコさんも甲板から目撃した。

 ウジェランに戻ると、島の周りの海は白い灰に覆われていた。船を下り、灰をかき分けて上陸。各家庭でドラム缶やタンクにためた水の表面にも灰が積もっていた。息で吹き飛ばし、その水で喉を潤したという。

 正確な年月を意識する習慣が乏しい中、トッコさんは実験を「53年ごろ」と記憶するが、住民の一時退避を記録する米公文書から、エニウェトク環礁で52年11月に実施された史上初の水爆実験「マイク」とみられる。爆発規模は、同環礁での44回の実験で最大の10・4メガトンで、広島原爆の約650倍。爆心地の小島エルゲラップ島は消滅し、その跡に直径1・9キロ、深さ50メートルのクレーターが残った。

 住民は実験後、全身のひどいかゆみに襲われた。トッコさんは後に甲状腺と腹部の多重がんを患い、手術を受けた。灰の浮いたドラム缶で水浴びした友人2人は、数年前に皮膚がんで相次いで亡くなった。トッコさんは「私たちはまだ少女で、あの粉が悪いものだとは思いもしなかった」と悔やむ。同じ経験をした夫のネプタリさん(82)との余生に健康不安はつきまとう。

 マーシャル諸島での核実験で、米国が放射性降下物による住民の被曝(ひばく)を認めているのは、ロンゲラップとウトリックの両環礁だけ。日本のマグロ漁船「第五福竜丸」などが被曝した水爆実験「ブラボー」によるものだ。エニウェトク環礁の被害は、あくまで実験場だった土地の放射能汚染しか見ていない。

 住民の一部は、ウジェランからの帰島に向けた77~80年の除染作業でも被曝リスクにさらされた。米国の企業に雇われ作業に加わったジョシ・ヨシタロウさん(60)は「放射線に関する説明はなく、手袋と帽子しか支給されなかった」と振り返る。

 エニウェトク環礁自治体の現地責任者デビッド・オベットさん(65)も、汚染度の高い環礁北部で除染に加わった一人。故郷のためと思ったが、マスクも手袋もなかったという。

 「がんで亡くなる人が帰島前後から増えているのは事実だ」と言い、「死の灰」が原因だろうと疑う。実際、甲状腺がんや血液がんで、父母や祖父母を亡くしたという住民は少なくない。ただ、がんを患った住民は治療のため米ハワイなどに渡り、島外で亡くなるケースが多いため、正確なデータがない。実験から除染に至るまで核被害について証言でき、救われるべき島民は年々減っている。

(2017年2月15日朝刊掲載)
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