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社説・コラム

社説 軍事研究と日本 歯止めの議論こそ必要

 平和国家日本がまた一つ岐路を迎えているのかもしれない。戦後、大学などの科学者は兵器開発をはじめとする軍事研究と一線を画してきた。その流れを変えようとする動きがある。

 焦点は科学者の代表機関である日本学術会議の方針だろう。先の大戦まで軍民の科学技術が一体化して戦争を遂行した反省から「戦争を目的とする研究は行わない」との声明を出している。その見直しを求める声が上がり、昨年6月から検討委員会で議論してきた新たな見解を4月の総会で示す見通しだ。

 安倍政権の「軍学共同」路線と深く関係している。直接のきっかけは防衛省が2015年度から安全保障に関する基礎研究を公募し、資金を配分する制度を設けたことだ。国立大などの研究現場は、どこも交付金削減などで台所が苦しい。そこを巧みに狙った印象もある。

 新年度予算案では本年度の18倍の110億円を計上した。既に防毒マスクに利用できる素材の高機能化など19の研究が採択されたが、積極的に応じるためには過去の見解が妨げになるという空気もあるのだろう。憲法上は日本に「軍」はなく、防衛省への協力は軍事研究に当たらないとする強弁も聞かれる。

 賛否両論ある中で、今のところ大勢は慎重論のようだ。検討委の中間報告では戦争協力への懸念に加え、研究の秘密保持を巡って政府の介入の恐れを指摘した。少なくとも過去の声明をほごにできる状況ではないはずだ。安易に政権の意向に沿う結論を出せば、大きな禍根を残すことを指摘しておきたい。

 むろん戦後日本でも研究者全てが軍事と無縁だったわけではない。防衛産業を担う民間企業に就職すれば当然、兵器開発に携わることも多い。そもそも核兵器と原子力、ミサイルとロケットのように軍事と民生利用は昔から表裏一体の面もある。近年はその境目がますますあいまいになり、「デュアルユース」(軍民両用)という言い方も定着してきた。例えば急速に普及するドローンにしても、中東の戦場で米軍が多用する無人攻撃機と技術的には通じる。

 海外では軍民の技術をさほど区別しないのが普通で、軍事技術の進歩が社会を動かすという見方すらある。ただ憲法9条を頂く日本が違う道を取ってきた意味もまた重い。性急に「普通の国」を目指す必要はない。

 ここにきて米軍が過去10年間に日本の大学などの研究者に9億円近い研究費を提供していたことも明らかになった。守り続けてきた教訓が形骸化しつつあるのなら見過ごせない。今こそデュアルユースの現状を冷静に踏まえ、新たな歯止めを構築すべき段階ではなかろうか。

 武器輸出三原則を見直した安倍政権は、防衛装備品を成長戦略の一つとして海外に売り込む姿勢が鮮明だ。軍民両用の技術開発を推進する検討会の設置も視野に入れる。しかし軍事とは無縁の基礎分野を含めて幅広く研究費を配分することこそ、科学の底上げと平和国家としての信頼につながるはずだ。

 明治大、法政大など軍事研究禁止を明言し、政府の路線に距離を置く大学も出始めた。これからは各研究機関の姿勢が問われよう。全ての科学者が問題意識を共有し、現場からの議論をもっと積み重ねてほしい。

(2017年2月21日朝刊掲載)

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