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連載・特集

通信使の置き土産 <1> 常石張子人形「ラッパ男」 

異国文化への感動込め

 福山市鞆町などを寄港地とした江戸時代の外交使節団「朝鮮通信使」。鞆町で11、12日、イベント「21世紀の朝鮮通信使・鞆」があり、ゆかりの地の関係者が集う。催しを前に、福山と近隣に残る通信使ゆかりの産品や伝承を紹介する。(衣川圭)

 外国との交易が限られた江戸時代、異国の装いの朝鮮通信使は庶民の注目を浴びた。ひげを生やし、どこかすました顔でラッパを抱える通信使の人形は全国に残る。福山市沼隈町常石の常石張子(はりこ)人形「ラッパ男」もその一つだ。

 通信使が立ち寄った鞆の浦から約8キロ。寄港時には常石の人々も見に来たと想像される。人形は明治期に土人形として生まれ、木型に和紙を張って型抜きする手法に発展した。ラッパ男は高さ13センチ。江戸から時代が変わってなお、通信使は魅力的な題材だった。

 「エキゾチックな音楽や衣装は、人形にしたくなるほど庶民を引きつけた」。人形に詳しい府中市上下町の光元次夫さん(70)は説く。青森県弘前市など経路から離れた地にも通信使の人形はある。京都や九州の技術が伝わり、参勤交代の際にも見聞きしたとみられる。

 異国文化への感動をとどめるのは人形だけではない。通信使の舞を伝承したとされる瀬戸内市牛窓町の「唐子踊(からこおどり)」など無形文化財にも色濃く残っている。

朝鮮通信使
 江戸時代の1607~1811年に計12回来日した朝鮮王朝の外交使節。韓国・ソウルを出発し、対馬や瀬戸内海を経て大阪まで航行。陸路で江戸へ向かった。対馬で接待した最後の1回を除き、鞆に毎回寄港した。道中、医学や芸術などの分野で交流が生まれた。

(2017年3月2日朝刊掲載)

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