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連載・特集

通信使の置き土産 <3> 田島の鯛網

優れた技術 接待支える

 朝鮮通信使の500人にも及ぶ一行をもてなすため、各藩は準備に奔走した。大量のタイを必要とした福岡藩が仕入れ先として頼ったのは、優れた鯛網(たいあみ)漁の技を有した福山市内海町の田島の漁師たちだった。

 1682年の福岡藩の記録には「備後田嶋で活鯛600枚を調達」との内容がある。一本釣りが主流だった玄界灘や呉市蒲刈ではタイがそろわなかった。網作りにたけた田島の漁師は、18世紀には九州北部・西海の古式捕鯨でも存在感を示すようになる。

 漁労文化に詳しい内海町の宮本住逸さん(61)は「海に生きる人々は朝鮮通信使の往来も支えた。瀬戸内海に優れた技術があったことを知ってほしい」。漁師たちは通信使の水先案内人も務めた。

 田島のタイは、生きたまま福岡藩の接待場所の相島(福岡県新宮町)に運ばれた。直線距離で約280キロ。活魚の運搬にも秀でていたのだ。それだけの手間を掛けた通信使の接待は、一方で各地の藩財政の圧迫につながる側面もあった。(衣川圭)

(2017年3月6日朝刊掲載)

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