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社説・コラム

『潮流』 「すず」の戦後は

■ヒロシマ平和メディアセンター長・岩崎誠

 「すず」も戦後の暮らしでは、さぞ苦労するのだろう。そんなことをふと考えた。大ヒット中のアニメ映画「この世界の片隅に」の主人公のことだ。米軍が呉に落とした爆弾で右手を失い、終戦を迎える。

 東京都江東区の東京大空襲・戦災資料センターの特別展「空襲被災者と戦後日本」に足を運んだ。かなり前に8ミリフィルムで収録された映像に胸が詰まる。神戸空襲で被災した女性。アニメと同様に左手だけが残された。その手で包丁を握り、じゃがいもの皮をむきつつ嘆く。授産所で縫い物の仕事をするが、人の何倍働いても量は半分だ、と。

 特別展は戦災障害者らが国に償いを求めた足跡をたどる。運動の先頭に立ち、昨年101歳で世を去った名古屋市の杉山千佐子さんの寄贈資料が柱の一つだ。傷ついた人の生々しい写真の数々、「ただちに『戦災援護法』の制定を」の横断幕、ちらしの裏に書いた交流会のあいさつ文…。空襲で左目を失い、不自由な体をおして、全国で苦しむ人たちの声をすくい上げてきた姿が浮かぶ。

 その願いがいまだ実らないのは残念だ。広島と長崎の被爆者、軍人軍属以外の民間人の空襲被害は国の救済策がない。年金支給などを求める援護法案が、過去14回国会に出されたが全て廃案となった。しかし長い運動の過程を追う同センターの山辺昌彦主任研究員は「確かな芽は吹いた」と考える。杉山さんのお膝元、愛知県内などの自治体では独自の見舞金制度が生まれてきたからだ。

 与野党対立が深まる今国会、超党派の議員連盟で新たな救済法案提出を目指す動きがある。自治体の取り組みを参考に、生存する戦災障害者への一時金を含めて検討中という。銀幕の中の「すず」の姿に涙した私たち。関心を持ち、後押しできればと思う。約10万人が犠牲になった東京大空襲から、あすで72年になる。

(2017年3月9日朝刊掲載)

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