×

連載・特集

[詩のゆくえ] 第2部 3・11を刻む <下> 広島市出身の詩人 堀場清子さん

共振する感性 命と未来 守る努力続ける

 女性史や占領下の原爆文献の研究で多くの著作がある堀場さん。散文で論考を手掛けながらも、10代で始めた「詩」という表現手法を手放さない。

 「さまざまな問題にぶつかって、書かずにはいられない思いに駆られたとき、自然と詩になる。私には生きることと詩を書くことは一体」と語る。

 詩作の集大成として2013年末、1956年からの作品を集めた「堀場清子全詩集」を刊行。締めくくりの一編として収録した「またしてもの放射能禍」は、東日本大震災と福島第1原発原発の事故を受けて書いた。

  わたしは悲しむ/日本の国土と海との この広大な 深刻な 放射能汚染を

 ごくシンプルに書き出した詩は、広島・長崎の被爆で幕を開けたヒバクの歴史をたどり、優に500行を超える大叙事詩へと膨らむ。「いのち」と「未来」を守ろうと呼び掛ける。

 その後も、「戦争と平和を考える詩の会」が発行する詩誌「いのちの籠」を中心に、発表を続ける。題材は国内の政治や国際情勢、女性の社会的地位など、時事性が高い。最新号に寄せた詩「キル キル キル キル」で視線を向けたのは、沖縄。地元女性の生命と尊厳を奪う事件を引き起こした米軍への怒りを表明する。

 「不当なことへの反抗心が私を休ませない」と堀場さん。「全詩集」を読むと、その批判精神が、さまざまな問題を貫くさまが伝わってくる。

 そもそも「全詩集」は2011年に刊行予定だった。その準備中に東日本大震災が起きた。

 堀場さんが暮らす房総半島の千葉県御宿町も大きく揺れた。半島の海岸は広範囲にわたり津波に襲われた。続く原発事故の衝撃に、広島で被爆している堀場さんは「命の危機」を感じたという。「またしてもの放射能禍」は、その危機感が生んだ一編だ。

 「全詩集」には、新たに書き下ろした562ページの別冊「鱗片(りんぺん)」を付した。詩集の末尾に原発事故についてのあとがきを数ページ足すつもりが、「筆を執るとヒロシマとフクシマが重なって、自分の中で何かが爆発した」と振り返る。

 2年をかけ、詳細に関連資料に当たり、人類と核との関係を検証した。こちらは散文だ。「自分でもよく分からないけど、詩は感性、散文は理性の表現でしょうか」  書かずにはいられない思いの根底にあるのは、1945年8月の「原体験」だ。当時14歳。爆心地から約9キロの広島県緑井村(現広島市安佐南区)で医師をしていた祖父宅に疎開していた。

 体調を崩して女学校を休んだ朝、閃光(せんこう)に続いて猛烈な衝撃を感じた。しばらくすると、祖父の病院に重傷者が次々と運ばれてきた。「生き地獄だった」。横たわる人たちを戸板に乗せて運ぶなど救護を続けた。2週間目に祖父の知人の医師を訪ね、市中心部にも入った。

 見た者が伝えねばとの思いと裏腹に、「あの地獄を見た人と見ないで済んだ人との間には、埋められない大きな隔たりがある」とも語る。一方で、自らが直接体験していない他の問題を思うとき、「体験していないために理解が及ばないような事柄にも、想像力を働かせて近づく努力を忘れたくない。そこに詩作を続ける理由がある」。散文の理性よりも、詩の感性は遠くまで届き、共振するようだ。

 昨年発表した詩「ひとごと民主主義 わがことの民主主義」は、「フクシマ」を織り込んでこう結ぶ。

 沖縄の痛みを わが痛みとし/フクシマの痛みを わが痛みとし/ヒロシマ・ナガサキの痛みを わが痛みとし/戦争で無駄に殺傷された万人の怨念を わが怨みとし/格差社会に潰される子供の貧困へ 手を差し伸べねば/わがことの民主主義には 到り着けない

 6年前の3月11日の出来事をはじめ、命と未来にまつわる全てを「わがこと」とする力を、「うた」に求め続ける。(森田裕美)

ほりば・きよこ
 1930年広島市生まれ。早稲田大卒業後、共同通信社勤務を経て作家活動へ。82年、詩と女性学をつなぐ雑誌「いしゅたる」を創刊し、2002年まで出版。詩集に「首里」(現代詩人賞)など。

(2017年3月10日朝刊掲載)

年別アーカイブ