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「精神的な支えだった」 肥田舜太郎さん悼む声

 元軍医で被爆者医療に尽力してきた肥田舜太郎さんの訃報が伝えられた20日、ゆかりの人たちに悲しみが広がった。

 「被爆者支援に携わる者にとって精神的な支えだった」。原爆症認定訴訟の支援を通じて十数年の親交がある広島県被団協(佐久間邦彦理事長)の大越和郎事務局長(76)は残念がった。肥田さんは2009年に一線を退くまで約6千人の診察に当たったという。「常に被爆者の立場に立つ人だった。もっと教わることがあったはずなのに」

 日本被団協の田中熙巳(てるみ)事務局長(84)=埼玉県新座市=は、1月にあった肥田さんの100歳を祝う会合に出席したという。「すごくお元気で大変喜んでおられた。『100歳は通過点』とも言っていた」と振り返った。

 もう一つの広島県被団協(坪井直理事長)の箕牧(みまき)智之副理事長(75)は、「核兵器禁止条約」の制定交渉会議が27日から国連で始まることに触れ、「ご経験を基に『核と人間は共存できない』と長年、訴えてこられた。まだまだ私たちに助言してほしかった」と語った。(長久豪佑、山本和明)

(2017年3月21日朝刊掲載)

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